会場決めから椅子を並べるまですべて1人で
「試合のカードを組んだり、会場を決めるのはもちろん、グッズ製作も遠征時の車の運転も。会場ではチケットの販売、椅子を並べたり……全部やってましたね。規模が今ほど大きくはなかったのでスタッフもおらず自分1人でやりました。本当に忙しかったですよ。9年間は本当に休みもなく朝から晩まで。しかしすべての業務に関わり運営をハンドリングできたのは大きかった。そのため人件費もほぼかからず経営は最初から黒字でした。ただ、1人でやれる力は限られているんですよ。ただ、人気や売り上げについては上がったと思ったらまた下がるの繰り返しでしたよ」
2013年には団体の象徴だった愛川ゆず季が引退。愛川の引退で大会場での試合から遠ざかる時期もあった。しかし一方で生え抜きの選手が続々とデビューし、選手層は年々厚くなっていった。一進一退の団体運営の中で黒字をキープできた要因に、小川氏はスターダムの選手育成システムがあったと語る。
「有名選手をよそから招聘して華々しく興行を行なうことは可能です。しかしそれを継続してできるかは難しい。団体ごとに価値観の違いはあり、それは後々にひずみを生じさせます。組織が崩壊するのは大体人間関係。それで辞めてしまうのはバカバカしいですしね。基本的に生え抜き選手主体の興行を行なうことにはこだわりました」
団体に転機が訪れたのは2019年12月、株式会社ブシロードファイトにスターダムの女子プロレス運営事業が譲渡され、新日本プロレスも運営するブシロードグループの傘下となったことだ。小川氏はそれに伴い取締役からエグゼクティブプロデューサーとして団体に関わることになる。
「今の立ち位置は、マッチメイクを考えることが中心になりました。以前は10あるうちの10全部を1人で見張らなければなりませんでしたが、今は規模も大きくなり分業し1つ2つのことだけに注力できるようになりました。もう年なんでそれぐらいしかできないですよ(笑)」
新体制のもと2020年以降年間の試合数は増え続け、両国国技館をはじめ、日本武道館や大阪城ホールなど大会場での興行も増えた。
「今後スターダムはもっと大きい会場を目指さなければならないと思っています。それは選手や試合のほか、プロモーションをもっと充実させなければ成し遂げられません。今はSNSで選手自らが個々に発信できる時代で、それが追い風になっています。昔はメディアの取材を受けられないと周知されなかったのに対して、今はSNSで選手の数だけ『ストーリー』が展開していく。そこにニュース性が加わった時にファンは新たな期待と想像を選手に抱くのです。例えば月山和香は、まだ一勝もあげてないんですよ。この先の彼女がどういう道を歩むのか。連敗ストーリーなのか涙の初勝利なのか、それを想像するのも面白いじゃないですか。選手が消耗品になってはいけませんが、とにかく新しいニュースや動きが常に必要で、我々はそれを提供し続けなければならない。なんと言っても『マンネリ』が我々の一番の敵ですから」