ファンの間で語り継がれている『Vやねん!タイガース』の表紙
「Vやねん!」の悲劇
岡田監督には嫌な思い出がある。阪神を率いて5年目のシーズンとなった2008年、首位を独走し、オールスター前にマジック46が点灯し、3年ぶりの優勝が確実視されていた。しかし、北京五輪で藤川球児、矢野輝弘、新井貴浩を代表に派遣。主力3選手を欠いたまま、8月を戦って9勝11敗と負け越し、最終的には巨人に逆転優勝を許してしまった。シーズン終盤には『Vやねん!タイガース』という雑誌も発売されるほどの盛り上がりだったが、歴史的なV逸を喫してしまったのだ。
「五輪期間中に主力が離れるのは他チームも同じでしたが、阪神は新井貴浩に腰の疲労骨折が判明して9月下旬まで試合に出られなかった。チームの要が約2か月も離れた影響は大きく、巨人に最大13ゲーム差を逆転されてしまい、岡田監督は責任を取って辞任した。当時、阪神のシニアディレクターも務めていた星野仙一・北京五輪代表監督から、新井の怪我について岡田監督に直接の連絡はなかったそうです。オリンピックさえなければ、阪神が優勝していたと考える人は多いでしょう」
岡田監督が2008年オフに辞任して以降、阪神は優勝に届いていない。
「北京五輪は、岡田監督の人生と阪神の運命を変えてしまったとさえ言えます。あの年優勝していれば、岡田政権はあと数年続いたでしょう。当時は4番に金本知憲、ショートに鳥谷敬とチームの格がしっかりしていたし、岡田監督と選手のあいだに信頼関係も築かれていた。2010年は1ゲーム差で落合博満監督の中日にペナントを奪われましたが、百戦錬磨の岡田監督だったら優勝できたのではないか、と思ったファンも少なくないはず。
1985年に優勝した時、ファンがケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダースを道頓堀川に投げ入れたことで、以降低迷したという“カーネルサンダースの呪い”がありました。これはあくまでネタとして扱われていますが、一方の北京五輪は、阪神が優勝できなくなった要因の1つになっているのは間違いない。岡田監督としては、なんとしても今年優勝して“北京五輪の呪い”を解きたいはず。そこにWBCが重なるとは何の因果でしょうか」
かつてイチローがWBC後に胃潰瘍になったように、侍ジャパンメンバーが100%の体調で戻ってくるとは限らない。