お笑いコンビ「ラランド」でツッコミを担当するニシダは、文筆家の顔ももつ。「思春期の時に読んでいたら心酔していた」と、星野源を唸らせたその作風は、どこかほの暗く、ときには暴力的ですらある。彼は「人を傷つけない笑い」について思うところがあるという。
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ラランドのネタはぜんぶ、相方(サーヤ)が書いています。芸人で小説を書く人は珍しくないけど、ネタをいっさい書かずに小説を出した芸人は、僕が初めてじゃないでしょうか。
僕も昔はネタを書いていたんです。大学でお笑いサークルに入った後、ラランドだけじゃなくていろんなコンビを組んで、あるコンビでは仕切って、自分でネタも書いて。
なんでいまはやっていないかっていったら、自分の一面がハッとわかった時期があったからです。僕、たぶん面白くないんですよ。コンビの中でバリバリ主導権を握って仕切ろうとしたり、自分のネタで引っ張ろうとしたりしても、誰も笑わなかった。
残念だし、悲しいことですけど、仕方ないです。でも同時に、誰かに主導権を握ってもらっていじってもらえば、周りからは面白く見えるときがあるタイプなんだなってこともわかって。だから、相方とのバランスがいいラランドは続いています。
事件ルポなら人がショックを受けるようなことを書いていいのか
この前も「いじられ向き」だって指摘を受けたんですよ。山口県の限界集落で起こった連続殺人事件を追うノンフィクション『つけびの村』著者の高橋ユキさんとの対談で、彼女に「ニシダさんは田舎に引っ越しても生き抜けるタイプかもしれない」と言われて。
「受け身の力」みたいなことですかね。たしかに田舎みたいな閉鎖的な空間では、いじる側(仕掛ける側)に立とうとするより、いじられる側で力を発揮できる新参者のほうが受け入れられやすいのかもしれません。僕なんか、ラランドではツッコミなのに、ボケ的に扱われていたりもするし。
『つけびの村』の構造は、純文学に近いのかな。事件ノンフィクションなのに、はっきりしたオチがない。いろいろなうわさの真偽が見えてきて、高橋さんは逮捕された殺人犯と面会までするのに、謎は深まるばかりなんです。
驚いたのは、日本中が「犯行予告」だと思った「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」という川柳が書かれた貼り紙が、事件とはまったく無関係だったことです。高橋さんが調べ上げなかったら、ただのうわさが“事実”として定着していたでしょうね。
『つけびの村』には、村人たちによる互いに互いを貶める悪口や、閉鎖的な空間でうわさが蔓延するメカニズムが、ルポの形式で書かれています。あまりのえげつなさに、「田舎の人を馬鹿にしているのか」とか「ノンフィクションの事件ルポなら、人がショックを受けるようなことを書いていいのか」とか、批判も受けたそうです。