実は、米国対キューバの準決勝も観戦して、ピンポン玉のように本塁打を放り込み、14-2で圧勝した地球最強打線に、さすがにその夜だけは愕然とした。ただし、野球における打撃とは水もの。派手に大量得点した次戦は、往々にして打線が湿る。しかも、日本はサヨナラ勝ちでムードは最高潮。流れが、こちらに傾いているのは明らかだった。
予想通りに、侍たちは頼もしかった。先制されても、自信を取り戻した村上が、メジャーリーガー顔負けの5階席に届く同点弾。その村上のライバル岡本も、前夜に本塁打をかっさらわれた悔しさの倍返しとなる、米国に2点差をつける貴重な一発。これで、うわさ通りのダルビッシュと大谷への継投が叶えば、必ず夢は叶う。
「不思議と負ける気しなかった」、「ピンチでも中継ぎ投手の若武者たちが頼もしかった」…。試合後に再会したほかの日本人ファンたちも、みんな信じて疑わなかったという。たとえ、球場が米国一色でも、メキシコ戦の死線を潜り抜けた侍戦士たちとファンは、もう見えない心の糸でしっかりとつながっている感覚だった。
あとはもう、全てが映画の名シーンのように流れていった。八回表。ダルビッシュがマウンドに上がり、その背中越しで大谷がブルペンへ準備に向かうという夢の交錯。そのダルビッシュが、昨年秋のナ・リーグ優勝決定シリーズと同様に、シュワーバーに特大弾を浴びた光景すらも、不思議と私を不安にはさせなかった。むしろ、1点差に迫られたことも、大谷での感動のフィナーレへのつなぎにしか思えなかった。必死に戦っていた選手には失礼な想像だが、声を枯らして必死にダルビッシュらに声援を送りながらも、頭の中ではとっくに勝利を確信していた。
そして、122年の近代野球史に燦然と輝く名勝負が実現した。
この先、野球というスポーツが続く限り、永遠に輝き続け、語り継がれる伝説のエンディングを、幸運にも我々は目撃した。
ダルビッシュの言葉を借りるならば、控えめに言っても、我々も野球の偉大な歴史の一員になったのだ。
もちろん、世界中でこのラストシーンを目撃した者たちは、等しく生き証人。みんなが、この時代に生きたことに、心から感謝できる瞬間だった。
圧倒的多数のメキシコ人に、負けず劣らずの声援を送る
《一夜明けの米国》
目覚めたホテルのテレビでは、全国放送のFOX SPORTSチャンネルで、決勝戦が再放送されていた。実況者は「米国のキャプテンと日本のキャプテン-。夢の対決」と紹介していた。スポーツニュースの年輩司会者や解説者たちは、ありとあらゆる賛辞の言葉で、大谷を褒め称えた。ある黒人司会者は、興奮を押さえられずにこう話した。
「大谷は、野球の神様ベーブ・ルースも成し得なかった偉業を叶えた。世界一決定戦で、我ら米国の最強打者から三振を奪っての優勝だ。こんな感動のドラマを、ほかの誰が果たしたっていうんだ、そして、今後果たせるというんだ。MLBだけじゃない、かつての黒人リーグやどこにだっていなかった存在だ。しかも、日本人なんだ! 野球の奥深さとは何たるや。大谷は、未来永劫(唯一無二)のユニコーンだ」
たしかに、観客席も異例の光景だった。米国のテレビ生中継もスタジアムも、試合終盤からは、みんなが大谷の登板を心待ちにしていた。ホームチームが惜敗しても、あれだけU.S.A.コールをしていた米国人たちが、すがすがしい笑顔で日本人ファンに握手を求めてきた。
「おめでとう、兄弟! オレたちも、こんな夢の対決を見られて幸せだ。OHTANIは野球ファンみんなのヒーローだ」
帰りのUberタクシーを待つ間も、道端で多くの地元民からハグされた。タクシー運転手からは「ハポン! コングラチュレーション」と、スペイン語混じりで祝福された。
決して日本人ファンだけが喜ぶ結末では無かったのだ。