欠かさず参加した子どもの学校行事も待ち受けていた娘の反抗期
金子のあ。2004年8月5日、神奈川県生まれ
僕は子どもたちに対して、正直、あまり厳しい親ではないと思います。僕の考えを押しつけたりしないので、友達のような感じじゃないかな。細かいことは、母親が厳しく言ってくれていますし、僕が言うのも変ですが、3人とも怒る必要のない“良い子”なんです。きょうだい仲も良くて、僕は一人っ子でしたので、子どもたちが楽しそうで羨ましいです。
雷を落としたようなことは一度もありませんが、一番、厳しく言ったことといえば、「好きなことをやっていいけど心配をかけないように」ということですね。たとえば、大阪のUSJに行くなら勝手に行かないでくれ、と。ちゃんと親に言っておいてくれないと、帰りが遅くなったりすると周りはすごく心配しますから。親や自分の周りの人のことを考えて行動するように、相手の立場にたって思いやりをもつように、と教えています。
子どものことが大好きなので、親が観に行けるものは、たとえば運動会や合唱コンクールなど娘が中学生のときまでは、ほとんどの学校行事に行っていました。でも、高校になると嫌がられてしまって、行けなくなりましたが、「影のように見えるくらい地味な服を着て来て」と言われちゃって……僕が目立つのが嫌だったみたいですね。
生まれ育った長崎で父の生業を意識して建築学科の大学へ進学
2023年4月8日~5月27日、深夜ドラマ『グランマの憂鬱』(フジテレビ系)に出演する
僕の親も、僕に自由にさせてくれました。出身は長崎です。父親は自営で建設関係の仕事をしていて、僕は本家の長男で一人っ子なのに、「こうしろ」「あれはするな」などと言われたことはありませんでした。子どもの頃は野球少年だったのでプロ野球選手になりたかったし、高校時代は硬式テニス部に入ったら、県でベスト4に入って、プロテニスプレーヤーに憧れたこともありました。
高校卒業するときは将来の夢がまだ定まっておらず、大学は父親の仕事を意識して地元の建築学科に進学しました。バンド活動に打ち込んでいるなかで、大好きなビートルズの元メンバーの生涯を描いた映画『バック・ビート』を観たことや、自分が映画好きだったことに気付いて、俳優に憧れるようになりました。映画は幼い頃からよく両親に連れて行ってもらっていたし、テレビでもよく観ていたんです。小学3年生くらいから、1人で映画館に行っていたほど熱中しました。
でも、俳優になる方法なんてわからないじゃないですか。演技はやったことがないので、本当に楽しめるかわからない。それで、とにかく東京へ行ってやってみよう、と大学卒業後は上京し、建築会社で働きながら演技のレッスンに通い始めました。そうしたら、演技は全然できないのに面白くて。俳優を本格的に目指そうと、会社を1年で退社し、アルバイトをしながらレッスンを受けたり、オーディションを受けたりしていました。
両親は心配したはずですが、表立って反対はされませんでしたね。「○歳までに芽が出なかったら帰ってこい」とも言われませんでした。「あら、そうね」って。すごく大らかですよね(笑)。子どもの頃から、僕が自分でやりたいことを決めて行動する子だとわかっていたから、納得するまでやらせるしかない、と思っていたのでしょう。本当にありがたいです。だから、僕も自分の子どもには同じように、自分でやりたいことを見つけてほしいし、やりたいようにやってほしいと思っています。