「僕自身は俳優として、今が一番怖さを感じています」
コロナ禍で仕事が激減したこともあったと語った
僕の親は「俳優になるなんて、どうせ無理」とも思っていたと思います(笑)。『百獣戦隊ガオレンジャー』で初主演させていただいたときは、もちろん喜んでくれたのですが、人気はどこまで続くかわからないし、俳優で一生食べていけるかもわからない。それは今も同じで、父親はもう他界しましたが、母親は今でもずっと心配していると思います。
ただ、僕自身は俳優として、今が一番怖さを感じています。デビュー当時、オーディションに落ち続けたこととか、稽古が苦しいとかはありましたが、それらは振り返ればたいしたことではなかった。26歳の時に出演した『ガオレンジャー』で人気が出て、放送中に結婚しました。3人の子どもを授かり、家も持ったことで、“守るもの”“失いたくないもの”ができました。だから、次も仕事がくるように、次の仕事に繋がるようにとテクニックで上手く見せよう、という気持ちが強くなっていたと思います。
コロナの自粛期間中に自分を見つめ直す時間ができました。そのときに余計に気付かされたのですが、「自分はこのまま無難な芝居をしていていいのだろうか」、と思うようになったことです。コロナが流行したように、この先も何か予測もつかないような大きなことが起こるだろう、と考えたのです。そのとき、それをどう乗り越えていくか、と考えたら、今、もっとやっておくべきことがあるんじゃないか。平均点をとる無難な芝居をやりつづけるのが本当の自分の姿なのか、と思ったんです。
そんなことを考えていたら、去年は真っ暗闇で苦しくて、もう俳優をやめて実家に帰ろうか、と家族と相談していたくらいです。ところが、のあには、それでも僕が楽しそうに仕事をしていうように見えていたようですけど(笑)、もんもんと家で暗い顔して考えている僕を見て、長女は「なんでパパがあんな苦しそうなことをやっているのに、のあは芸能界に進みたいと思うのか意味がわからない」って言っていたほどです。
ところが今年に入って、やめる覚悟をもって動いたら流れが変わったんです(笑)。開き直ったのが良かったのかな。結局、一か月後も一年後も数年後も、今日1日の積み重ね。無難にやるんじゃなくて、“今日が俳優として最後だ”というぐらいの気持ちで我武者羅に全力投球して楽しんだら、一か月後も数年後も楽しいんだ、って。
そんなふうに考えて自分が変わったら周りも変わって、協力してくれる人が少しずつ増えてきました。1日を大切に繋げていけば、楽しい未来ができていくんですよね。そう思ったら、暗闇の中から光が見えてきて楽になりました。
今春、本格的に芸能への道を進み始めた次女ののあさん。あどけなさの残る18歳の彼女が意外な父の顔と思い描く未来を語った。
(後編に続く)
〈告知〉
4月8日~5月27日、深夜ドラマ『グランマの憂鬱』(フジテレビ系)に出演。
5月28日~6月20日、大阪新歌舞伎座で『泣いたらあかん』の舞台に立つ。
取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/山口比佐夫