ムツゴロウさんが生前、描いていたイラスト『走れゴンベ』
〈当時、結核は不治の病といわれていましたが、絶対に治ると僕は信じ、待ち続けました。その間、一度も会えませんでしたが、「僕が愛を送るよ。それが薬だよ。元気になってね」と手紙で愛を語り続けましたね〉
熱心な励ましのかいがあって約2年半後に純子さんは回復し、2人は初めて結ばれた。
〈2年半後、彼女は病気が治り、1か月間、僕と過ごすために上京してくることになりました。僕は2人で住むための小さな三畳一間のアパートを池袋に用意しました。初体験はその最初の晩のことです。僕はそれを予定していましたし、彼女もそれはわかっていて、受け入れるつもりでした。だから、自然に小さな布団に2人で入り、キスをし、抱き合い、そして繋がりました。~(中略)~いよいよ、これから一緒に生きていくんだなという感慨は強くありましたね〉
畑さんが23歳のときに結婚し、25歳で長女が生まれた。父親となっても破天荒な畑さんの生き様を純子さんは大らかに受け止めてきた。1971年、夫婦は東京を離れ、北海道の無人島に移住することになる。