何を「監視」すべきなのか
2013年夏の花巻東(岩手)や2016年春の秀岳館(熊本)などは、攻撃時の二塁走者の怪しい動きを対戦校の選手や審判団に指摘されている。攻撃側のチームはサイン盗みを否定するものの、試合後に監督が“紛らわしい行為があった”ことを謝罪するようなケースは頻繁に起こってきた。また、2019年のセンバツでは石川・星稜の林和成監督(当時)が習志野(千葉)のサイン盗みを疑い、試合後、控え室に乗り込んで猛抗議、大騒動に発展したこともあった。
だが、今回のその捕手は相手校の不正を訴えるのではなく、サインを盗まれるのは自分のミスであり、技量不足だとしきりに悔やんでいた。まるで、「盗まれた自分が悪い」と自戒しているようだった。
彼の発言からは高校野球の実態が透けて見えると言えるだろう。つまり、いまもって多くの試合でサイン盗みが横行している可能性があり、日本一を目指すような強豪校は「サインを盗まれるかもしれない」ということを前提に戦っているということだ。
普段からサイン盗みの対策は行っているのか――。
甲子園を去るその捕手にそう問うと、彼は静かに頷いた。
サイン盗みが禁止されたきっかけは、1998年夏の全国高等学校野球選手権大会の準々決勝、「横浜対PL学園」戦とされている。PL学園の三塁ランナーコーチが捕手の構えの癖から球種を判別し、それを打者に伝えていたことが報道された。それは当時のPL学園で鬼コーチといわれていた清水孝悦氏の慧眼によって生まれた高等戦術だったが、試合を戦っているなかでそれを察知し、対処に動いたのが横浜の小倉清一郎部長(当時)だった。百戦錬磨の両参謀は、こうしたプレー以外の戦略眼も持ち合わせていた。
当時はサイン盗みも野球の巧さであり、技術であった。だが、この試合をひとつの機に日本高野連はマナー向上の観点からサイン盗みを禁止として捕手のサインのシンプル化を促し、試合進行のスピードアップもはかったのである。
しかし、サイン盗みがなくなったとは思えない。甲子園での試合だけでなく、数年前には近畿大会の名門校同士の試合で、二塁走者のサイン盗みを試合後に猛抗議した監督もいた。いわく、二塁走者が直球の時にはヘルメットに手を置き、変化球ならば何もしないことで、打者に球種を伝えていたというのだ。いまどき、そこまで古典的で単純なサイン伝達行為をするだろうかという疑念はあったが、センバツ出場がかかった大会で勝敗に直結するサイン盗みが行われていたのであれば、その監督の怒りももっともだ。
たびたび疑惑や疑念が持ち上がるのは、日本高野連のルール設定に問題があるという一面もあるだろう。現在のルール上では仮にサイン盗みが見つかったとしても罰則がない。サイン盗みが発覚したら没収試合とするような規約を作れば、“そこまでリスクを背負ってサインを盗む必要はない”という抑止力になり得る。少なくとも、そうしたルール変更の検討くらいはあっていいはずだが、具体的に耳にしたことはない。
大谷翔平(エンゼルス)が契約するニューバランスの新作スパイクのデザインに関して、日本高野連は規約から外れるとして公式戦での使用をNGとしたという。野球道具のデザインやセンバツの開幕試合で話題となったペッパーミルなどのパフォーマンスに対して厳しく目を光らせる前に、プレー中の「監視の目」こそ日本高野連には必要ではないか。