マライさんが「日本語クラブ」で使っていた教材
「クラブには途中から参加したんですが、初めて参加する前にもらった教材を1日で半分以上読んで『あ、だいたいわかるな』と思いました。『学校』とか『授業』とか単語もいっぱい覚えて、クラブが始まった時はわりとついていけてる気がしましたね。
形容詞の活用とか、動詞が最後に来る語順とか、例のビジネス日本語レッスンでやっていたので入りやすかった。ひらがなも頑張って覚えました」
その覚え方が面白い。自分でカードゲームを作ったというのだ。
「『KA』と『か』みたいに、ローマ字とひらがなのカードを組み合わせて確認するゲーム、日本で言う神経衰弱ですね。高校の、あまり興味のない授業の時に、机の下でチャッチャッチャって、カードをシャッフルしてやってました。ひらがなの表を全部自力で書けるのか、間違ってないか試したかったんです」
そして16歳の時、マライさんは日本の高校に留学する。
「それまで留学生を受け入れたことのない、兵庫県姫路市郊外の県立高校に留学しました。周りは田んぼで、すごくのどかなところ。そこで日本人とまったく同じ授業を受けました。
もうね、全然分からないですよ(笑)。特別扱いはされなかったので、日本人のクラスメイトと一緒に教室にいて、途中からテストも同じものを受けました。本文も質問も読めないんだけど、選択肢があるから適当に〇を付けたりして、4点取ったりしました。
思い出すのは、歴史の授業を受けていた時。教室の一番前に座って黒板を見ていたら、なんか一つの漢字が何度も出てくるなあと思って。後から知ったんですが、それは帝国の『帝』でした。見よう見まねで字を書いてクラスメイトに見せると『これ違うよ、マライ』『こう書くんだよ』って言われる。『ほう……』って思うんだけど、直されても何が違うのか分からない。ほんとに最初はそんな感じでした」
何もかも分からない学校に毎日通う。嫌になったりしなかったのだろうか。
「担任の先生が英語の先生だったので、そこは安心でしたね。そもそも、その先生が『うちのクラスに外国人の子がいてもいいよ』と言ってくれたので、留学できたんです。クラスにも優しい友達がいて、英語と易しい日本語で話してくれたりして、少しずつ聞き取れるようにはなっていきました。なんだったかな、明日から夏服に切り替わるよ、って話を先生がしたとき『マライ、分かった?』と聞かれて『うん。この服じゃなくて違う服着るんでしょ』って言ったら『おお、すごい。分かったね』って。そんなこともありました。
でも、聞き取れてもじゃあ日本語話せるかって言ったら、さすがにそうはいかない。誰かの会話を聞いていて『あ、今の分かったぞ。私も何か言えるぞ、よし』と思って喋ろうとするんだけど、そうやって考えている間に話題が全然別のほうに行っちゃって、ああ間に合わなかった……と思うことの繰り返し。ドイツだと16歳ってほぼ大人って感覚で、だからなおさら『大人なんだからきちんとした文章で話したい』と思うわけですよ。プライドと、恥ずかしい思いをしたくないという気持ちが混ざって、なかなか自分から話すことができませんでした」