ロックバンド『爆風スランプ』のギタリストとして活躍
──当時、『イーストウェスト』出身者には、ほかにはどのようなバンドがいましたか?
「俺たちが出たのが1980年で、当時の優勝者にはシャネルズ(ラッツ&スター)やサザン(サザンオールスターズ)もいた。ほかにもチェッカーズや子供バンド(注:うじきつよしがボーカルを務めたバンド)も出ていたね」
──そうそうたるメンバーですね。
「爆風スランプは1984年にデビューしたのだけれど、同じ頃にデビューしたのがレベッカ、米米CLUB、聖飢魔II、ECHOES(辻仁成がボーカルを務めていたバンド)と、同じソニーレコードだけでもバンドが沢山いた。
その中で目立たなければいけない。そのメンバーで、ライブハウスツアーもやっていた。俺たちはライブのパフォーマンスで、花火を口にくわえたりして盛り上がるから、最後のトリだったんです。言うならば、レベッカや米米は爆風の前座だったんです(笑)。でもあっという間に、追い抜かれました」
──当時のファンは、男性が多かったのですか?
「男性と女性は半々くらいでしたね。でも“ファンでした”って声を掛けられるのは男性が多いかな(笑)。当時、爆風と仲間だと思われていたバンドは、聖飢魔IIと米米CLUB。どちらもコミカルな路線もありつつ、パッパラー河合とかカールスモーキー石井とか、名前がプロレスラーっぽいんですよ」
──そこから、一歩抜け出すにはどのような戦略を考えましたか?
「カールスモーキー石井さんとか、めっちゃかっこいいでしょ。爆風には、かっこいいメンバーがいない。だからデビューしてからは『無理だ!!(You Cannot Do That)』とか『たいやきやいた』みたいな音楽的にニッチなものを狙っていたんです。彼らとは違う路線でいかないと、もう目立てないじゃないですか。奇天烈なバンドで突っ走ってきたんです」
──印象に残っているエピソードはありますか?
「若い頃は、出演者同士の意地の張り合いで、人前で脱いじゃったりしたこともあった。どこだかの写真週刊誌に “素っ裸で演奏していた”って書かれたけれど、パンツは穿いていたよ(笑)。チェッカーズみたいなアイドル路線だったら致命的だけれど、うちらは大丈夫でした」