1980年代から1990年代にかけ『Runner』『旅人よ〜The Longest Journey』というヒット曲で世間にも広く知られることとなった
──『Runner』(1988年・作詞:サンプラザ中野、作曲:Newファンキー末吉)がヒットした時はどのように思いましたか?
「俺と末吉がだいたい順番で曲を書いていたのだけれど、どっちの曲でも良いから売れてほしかった。だって、ヒットしないとバンド活動を存続できないからね」
──『進め! 電波少年』で放送されていた猿岩石の『ユーラシア大陸横断ヒッチハイク』(1996年)では、中野さんと河合さんが実際にインドまで出向いて、猿岩石のために『旅人よ ~The Longest Journey』(1996年)を歌った記憶があります。
「マネージャーから“インドに行って猿岩石を探してください”って言われたんですよ。まだGPSとかも無い時代だったので、現地で聞き込みをして探しました。ニューデリーにいるってところまではわかっていたけれど、実際に会えるまでは2日くらいかかったかな(笑)」
──実際に、何もわからないままインドまで行かれたのですね。
「あの時は、本人たちの前で演奏するから一発撮りじゃないですか。一度だけで良い歌が歌えるのか。それがきちんと伝わるのか。たった3分ほどの演奏だったのに、よく覚えていますね」
──視聴者の方にとっても、印象的なシーンだったと思います。
「俺もあの時の有吉(弘行)君と森脇(和成)君の姿はよく覚えていますね。今にして思えば、有吉君は無理やり泣いていたような感じだったかも(笑)」
──河合さんのキャリアで言うと、ポケットビスケッツの曲が好きだったと言う方も多いと思います。
「千秋が小中学生に人気があったし、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!! 』(日本テレビ系列)もすごく面白かったよね。この1〜2年ほどまた千秋と音楽活動をしている。本人は謙遜して“私は需要が無い”って言ったりするのだけれど、そんなことはない。みんな若い頃にいいなって感じた曲って、ずっと心に残ると思うんですよ」
──ポケビは、元々は『ウリナリ』の企画から誕生したのですよね。
「そうなんです。後藤次利さんがプロデュースしたグループと、ポケビがデビュー曲の売上枚数を競ったんです。後藤さんのが28位、ポケビが25位と僅差だった。『ウリナリ』のプロデューサーは、あの『電波少年』の土屋さん(土屋敏男氏)。 “こういうのはガチでやるから面白いんだよ”って言っていました」