ライフ

【逆説の日本史】満洲問題の「タイムリミット」解決の「天佑神助」となった対独宣戦布告

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十二話「大日本帝国の確立VII」、「国際連盟への道5 その5」をお届けする(第1391回)。

 * * *
 第一次世界大戦開戦前夜の日本のとくに強硬派が、どんな形でもいいから中国からなんらかのアドバンテージを引き出せる形を作るべきだと声高に主張していたのは、これまで何度も述べてきたとおり「十万の英霊、二十億の国帑」という大きな犠牲を払って成し遂げられた「明治天皇の大業」をなんとしても守るために必要だと考えていたからだが、その背景に見逃されがちだが「タイムリミット」という大きな問題もあった。

 欧米列強が清国から得た租借地つまり実質的な「植民地」には、「使用期限」が付いていた。しかし、それはイギリスが得た香港についてもドイツが得た膠州湾にしても、「九十九か年」という、きわめて長いものであった。ところが、日本が日露戦争(1905年講和)で獲得した権益については、遼東半島については一九二三年(大正12)、南満洲鉄道に関しては一九三九年(昭和14)という、欧米列強にくらべればきわめて短い、五十年にもおよばない期限しか設定されていなかった。

 植民地獲得競争では「後進国」だった日本の悲哀、と言っていいだろう。皮肉なことに、欧米列強の中国領土の長期間の租借が漢民族のナショナリズムを刺激し、租借期間は絞られる傾向があった。それゆえ日本では、日露戦争以後に獲得した満洲に関する権益の期限をいかに延長するかが、外交の重要課題として認識されていたのである。

 あの「貪官汚吏」の元老井上馨が「天佑神助」だと叫んだのも、ここがポイントだったろう。ドイツの膠州湾を奪うのは、膠州湾そのものが目的では無い。それを「人質」に取って満洲に関する権益の期限延長を図ろうと考えたのだ。ドイツが膠州湾を維持する限り、返還期限(なんと1997年!)まで中国に返還されることは無い。そこで、膠州湾を日本がドイツから奪い、早く返してやるから満洲のほうの期限を延長してくれという形で、この問題を解決しようとしたわけである。

 これまで述べたとおり、当初日本は「南京事件」をネタに、ドイツが膠州湾を獲得したのと同じような形で満洲問題を解決しようとしていたのだが、「それは火事場泥棒だ」という国内の強い反発もあって軍事行動に踏み切れずにいた。ところが、日本の同盟国イギリスがドイツと戦う第一次世界大戦が起こったため、「同じような形」では無く膠州湾をドイツから直接奪うという道が開けたのである。

 一九一四年(大正3)八月二十三日、日本はドイツに宣戦布告した。すでに述べたようにオーストリア=ハンガリー帝国がセルビア王国に宣戦布告したのが七月二十八日で、イギリスがドイツに宣戦布告したのが八月四日である。当時の通信事情や交通手段などを考えれば、日本は異例の速さで参戦したことがわかるだろう。日本は同盟国のイギリスから「戦地局限」されていたので(前回述べたように、これは日本にとって好都合だったが)、膠州湾とドイツが領有していた南太平洋の島々に派兵した。

 このうち膠州湾は攻略するのにしばらく時間がかかったが、南太平洋の島々(のちに日本はこれを「南洋諸島」と呼び、大戦後には実質的な日本の領土となった)については日本海軍の陸戦隊がこれを無血占領した。「無血占領」ということは、島々を守っていたドイツ軍の守備隊が戦わずして撤退したということである。

 プロ野球にたとえれば、ヨーロッパでフランスやイギリスと戦っていた精強なドイツ軍が「一軍」であるのに対し、中国の膠州湾を守っていたのは「二軍」だが、太平洋の島々を守っていたのはそれ以下の「三軍」に過ぎなかった。それが「一軍」の日本海軍に敵うわけが無い。遠隔地であるため日本軍が到着するまで少し時間がかかったが、到着した十月にはドイツ軍守備隊はすでに「撤退」しており、日本の「勝利」が確定した。

 中国は南太平洋よりははるかに日本に近いので、早くも九月二日に日本陸軍は山東半島に上陸したのだが、膠州湾攻略には少し手間取った。膠州湾は、旅順がロシアの太平洋艦隊の基地であったように、ドイツ東洋艦隊の根拠地であり防御のための砲台で固めた青島要塞があったからだ。

 もっともドイツは戦争が始まると東洋艦隊の主力をヨーロッパに派遣し膠州湾には戦力になる艦艇をほとんど残さなかったので、日本海軍も戦艦を中心とする第一艦隊では無く、巡洋艦が主力の第二艦隊を派遣するにとどまった。ちなみに、このドイツ東洋艦隊の主力は南米フォークランド沖でイギリス艦隊の待ち伏せに遭って撃滅され、ヨーロッパ戦線にたどり着けなかった。

 とにかくドイツ東洋艦隊がヨーロッパに向かったので、この「青島の戦い」では艦隊決戦は起こらず、陸軍同士の要塞攻防戦となった。その詳細について語る前に、この第一次世界大戦を契機に「日本領」となった南洋諸島についてその概要を述べておこう。この時点から約三十年後の第二次世界大戦の太平洋戦線では、これらの島々が主戦場になったからである。

関連キーワード

関連記事

トピックス

自宅で亡くなっているのが見つかった中山美穂さん
【入浴中の不慮の事故、沈黙守るワイルド恋人】中山美穂さん、最後の交際相手は「9歳年下」「大好きな音楽活動でわかりあえる」一緒に立つはずだったビルボード
NEWSポストセブン
トンボをはじめとした生物分野への興味関心が強いそうだ(2023年9月、東京・港区。撮影/JMPA)
《倍率3倍を勝ち抜いた》悠仁さま「合格」の背景に“筑波チーム” 推薦書類を作成した校長も筑波大出身、筑附高に大学教員が続々
NEWSポストセブン
結婚披露宴での板野友美とヤクルト高橋奎二選手
板野友美&ヤクルト高橋奎二夫妻の結婚披露宴 村上宗隆選手や松本まりかなど豪華メンバーが大勢出席するも、AKB48“神7”は前田敦子のみ出席で再集結ならず
女性セブン
NBAロサンゼルス・レイカーズの試合を観戦した大谷翔平と真美子さん(NBA Japan公式Xより)
《大谷翔平がバスケ観戦デート》「話しやすい人だ…」真美子さん兄からも好印象 “LINEグループ”を活用して深まる交流
NEWSポストセブン
(時事通信フォト)
「服装がオードリー・ヘプバーンのパクリだ」尹錫悦大統領の美人妻・金建希氏の存在が政権のアキレス腱に 「韓国を整形の国だと広報するのか」との批判も
NEWSポストセブン
野球人・江夏豊が球界に伝えておくべきことを語り尽くす(撮影/太田真三)
【江夏豊インタビュー】若い才能のある選手のメジャー移籍は「大いに結構」「頑張ってこいよと後押ししたい」 もし大谷翔平と対戦するなら“こう抑える”
週刊ポスト
自宅で亡くなっているのが見つかった中山美穂さん
《私には帰る場所がない》ライブ前の入浴中に突然...中山美穂さん(享年54)が母子家庭で過ごした知られざる幼少期「台所の砂糖を食べて空腹をしのいだ」
NEWSポストセブン
亡くなった小倉智昭さん(時事通信フォト)
《小倉智昭さん死去》「でも結婚できてよかった」溺愛した菊川怜の離婚を見届け天国へ、“芸能界の父”失い憔悴「もっと一緒にいて欲しかった」
NEWSポストセブン
11月下旬に札幌ススキノにあるガールズバーで火災が発生(右はInstagramより)
【ススキノ・ガルバ爆発】「男は復縁の望みをまだ持っていた」火をつけた男は交際相手A子さんを巻き込んで死のうと…2匹の犬を失って凶行に
NEWSポストセブン
再婚
女子ゴルフ・古閑美保「42才でのおめでた再婚」していた お相手は“元夫の親友”、所属事務所も入籍と出産を認める
NEWSポストセブン
54歳という若さで天国に旅立った中山美穂さん
【入浴中に不慮の事故】「体の一部がもぎ取られる」「誰より会いたい」急逝・中山美穂さん(享年54)がSNSに心境を吐露していた“世界中の誰より愛した人”への想い
NEWSポストセブン
大谷翔平選手(時事通信フォト)と妻・真美子さん(富士通レッドウェーブ公式ブログより)
《真美子さんのバースデー》大谷翔平の “気を遣わせないプレゼント” 新妻の「実用的なものがいい」リクエストに…昨年は“1000億円超のサプライズ”
NEWSポストセブン