「日比谷公園野外音楽堂前の野外少国民学校」。日比谷公園野外音楽堂で授業を受ける「野外少国民学校」の被災児童たち。数々の伝説的な音楽ステージを見守ってきた通称“野音”は、この年の7月にオープンしたばかりだった(所蔵元:国立映画アーカイブ)
「日本赤十字社病院における救護活動」。現在の渋谷区広尾にあった日本赤十字社病院での救護活動の様子。同病院では発災当日から救護班が編成され、およそ200万人を超える人々の救護に当たった(所蔵元:国立映画アーカイブ)
「靖国神社境内のバラック」。靖国神社の境内に被災者を収容するバラック(仮設住宅)が建設された。9月13日起工、26日竣工のバラックは全70棟。建設を警視庁、管理を東京市社会教育課が担った(所蔵元:国立映画アーカイブ)
「罹災傷病者を慰問する皇后」。大正天皇の皇后である貞明皇后は、9月末より各地の視察を行なっている。写真は10月2日、東京帝国大学附属病院を巡覧する様子。寝たまま皇后を迎える傷病者も少なくなかった(所蔵元:国立映画アーカイブ)
「仮事務所による職業紹介」。第一次大戦後の不況に震災が追い打ちをかけ、失業者が急増。彼らに仕事を斡旋すべく、東京市が職業紹介に乗り出し、帝室博物館(現・東京国立博物館)には仮事務所が設置された(所蔵元:国立映画アーカイブ)