祝勝会に向かう清原(左)、勝児さん(中)、亜希(右)
「清原姓」を捨てた
その頃、父と息子たちの間にも深い溝が横たわっていた。昨年出版された亜希の著書『家 ごはんと野球』で、正吾さんは当時の父親との関係を次のように振り返っていた。
《離婚したあとの面会は、一番きつかった。あの時は嫌いだったな、会いたくなかった。まだ、お母さんとあぱっち(清原氏の愛称)も仲良くなかったし》
家族の崩壊を決定的にしたのが、2016年2月、清原の覚醒剤取締法違反容疑での逮捕だった。
《今、私にできることは多くありませんが、まずは親として、大切な子供たちを守ることが一番の責任だと思っております》
逮捕から3日後にそうコメントを発表したように、子供たちを守るための亜希の行動は迅速だった。
「弁護士を通じて、清原さんに子供たちへの面会交流の禁止を通告しました。それまで、わずかでもグラウンドで子供たちと過ごす時間を持てていた清原さんに対する、“絶縁”と言っていいものでした。清原さんの逮捕で、家族の関係は完全に切れたんです。2人の息子を溺愛していた清原さんには非情な対応でしたが、亜希さんは『息子たちへの悪影響は絶対に避ける』と決して譲りませんでした」(前出・亜希の知人)
亜希自身、離婚後も名乗り続けていた清原姓を捨て、「亜希」として生まれ変わった。自身のアパレルブランド『AK+1』を立ち上げるなど、精力的に動いた。
「幼い頃に両親が離婚して貧しい幼少期を過ごした彼女は、同情されることが大嫌いです。元夫の逮捕はもちろんショックでしたが、シングルマザーとして歯を食いしばり、長男と次男に逆境に立ち向かう“母の背中”を見せようとしたのではないでしょうか」(前出・亜希の知人)
「父親に会いたい」
女手ひとつで息子たちを育てる──そう誓った亜希はモデル業やアパレル業で駆けずり回りながら、食べ盛りの子供たちの食事や弁当を作り、洗濯や掃除など母業も決して手を抜かなかった。目まぐるしく過ぎる母と息子の暮らしに変化が見え始めたのは、2019年に入ってからだ。
「亜希さんは弁護士を通して清原さんの更生への努力や子供たちに会いたいという思い、家族への謝罪の気持ちを聞いていました。さらに離婚後から交際していたとされる、20代女性のパートナーと清原さんが破局したことも大きかったようです。ただ、元夫の変化を伝え聞いても、息子たちのために自分が頑張らねばとの気持ちは揺らぎませんでした」(前出・亜希の知人)
母の思いを変えたのは、その息子たちだった。当時、中学生で野球に没頭していた勝児さんが、バッティングでスランプに陥ったとき、「誰かに、変化球の打ち方を教えてもらいたいんだよね」と亜希にこぼしたことがあったという。
「亜希さんの手前、勝児さんはその“誰か”の名を口にすることはありませんでしたが、“父親に会いたい”という心の叫び以外の何物でもなかったんです。勝児さんとしては、伝説的野球選手だった清原さんに打撃を教わりたい気持ちはあったでしょうが、それ以上に、父親のことを子供ながらに気にかけていたのかもしれません」(前出・亜希の知人)
弟の思いに、正吾さんも同調した。
「“すごいバッターだから、教えてもらうのが当たり前だろ”と、亜希さんに対して勝児さんの気持ちの援護射撃をしたそうです。正吾さん自身も、清原さんに会うことを了承した。それまで、子供たちのために清原さんを拒絶していた亜希さんでしたが、2人の考えに背中を押される形で、清原さんとの面会を決意しました」(前出・亜希の知人)