「定期的な健診」が喧伝されるが、病院に行くこともままならない状況にある人もいる(写真/PIXTA)
治療から5年が経ったいま、「いまは病気になる前よりも体調がいいくらい」と穏やかな笑顔で話す篠田さん。昨年には母を見送り、改めて思うのは「介護とがん治療の両立は、心の持ちようで乗り切れるようなものではない」ということだ。
「“心の持ちようで”とは、経験したことのないかたの机上の空論だと思います。他者に24時間寄り添う生活では自分の具合が悪くなっても二の次にせざるを得ない。ひどいときには具合の悪いことにすら気づかない。いくら“自分ファーストで”“検診はしっかり受けましょう”などと喧伝されても、物理的に無理な状況にいる人は少なくありません。
私は乳がんになる5年前に、検査で甲状腺がんが『グレーゾーン』だとわかったけれど、精密検査に行く余裕はなく放置していました。ほんの少しの間でも母を預けられる先がなく、自分の通院は、母の手を引いて2人で行きました。乳がんも、母がたまたま老健(介護老人保健施設)に入ったから発見できたようなもので、あのままなら手遅れになっていました」
困ったときに頼りになるはずの行政も、実際は役に立たなかった。
「『地域包括支援センターを頼れ』とよく言われますが、介護される本人が拒否すれば、何もできない。『ご本人の気が変わったらまた来てください』と言われるだけ。かつて小津安二郎は『東京物語』で原節子演じる嫁の義父母への献身を“美談”として描いていましたが、それは倒れた後に亡くなるまでの期間が短かった頃の話。
いまは心身が不自由になった後に長生きする長期間の介護生活で次世代の家族が病気になり、“共倒れ”ならぬ“先倒れ”になる例も多い。むやみに在宅ケアを推進する政策や、家族がケアするのが当然という考え方は見直す必要があるのでは?と思っています」
【プロフィール】
篠田節子(しのだ・せつこ)/1955年東京都生まれ。1990年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。1997年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞受賞。2018年に乳がんが判明し、右胸の摘出手術を受ける。判明から術後までの日々はエッセイ『介護のうしろから「がん」が来た!』に綴られた。
※女性セブン2023年10月5日号