いつも一緒だったおすぎ(右)とピーコ
「おすぎはもう死にました」
おすぎが暮らすのは認知症の症状が出た人が共同生活を送る「グループホーム」で、「認知症対応型共同生活介護施設」とも呼ばれる。誰でも入居できる施設ではなく、65才以上、要支援2または要介護1以上の認定、認知症の診断、施設と同一の市区町村に住民票があるといった入居条件がある。
「おすぎさんが入所したのは、ごく一般的なグループホームです。横浜市内にあって費用は食費や光熱費込みで月12万円ほど。70~90代の20名弱が共同で生活しています」
グループホームに入所する日、おすぎに付き添ったのはピーコだった。
「穏やかな表情のおすぎさんに対して、ピーコさんは明るく振る舞いつつも、どこか寂しげで目元は潤んでいるように見えたそうです。入所後、ピーコさんは何度もおすぎさんの面会に足を運んでは、その生活を心配していました。でもあるときを境に、パタリと行かなくなってしまったんです」
おすぎがグループホームという“終の棲家”を得たことでピーコの心は落ち着くかと思われたが、そうはいかなかった。
「おすぎさんがいなくなって静まり返る自宅で過ごすうち、ピーコさんはたったひとりの弟を施設に入れてしまったという罪悪感に苛まれるようになりました。ピーコさんは、いつもおすぎさんを気にかける弟思いの兄でした。一方のおすぎさんも兄を慕っていて、“ピーコがいてくれてよかった。
老後は2人で暮らしたい”と常々口にしていたんです。その言葉を聞いていたのに、同居中はストレスからイライラしっぱなしで、大切な弟を突き放すようなことをしてしまった。“やはり施設に入れるべきではなかったのか”“じゃあ、どうすればよかったのか”という答えの見えない問いにピーコさんは苦しんでいました」
50年ぶりの同居を始める直前、ピーコは「おすぎの具合が悪くなっちゃって、嫌だけど私が面倒をみてやらないとダメなのよ」と周囲に言うものの、その口ぶりはどこかうれしそうだったという。
だが、楽しみにしていた同居をすぐに解消しただけでなく、結果的に弟を施設に入れるという決断をする、予想外の事態となった。あまりの急展開に心の平静を保てなくなったのかもしれない。
「次第にピーコさんは、友人らに“おすぎは死んだ”“お骨になって帰ってきた”などと事実ではないことを言いふらすようになりました。弟を施設に入れたという罪悪感を打ち消すため、おすぎさんと死別したと思い込もうとしたのかもしれません。自宅マンションはおすぎさん名義だったので、“死亡届のような書類”を持って管理人に名義変更を願い出たこともあったそうです。
時間が経過するとともにピーコさんの認知症も進行していき、おすぎさんが施設で暮らしていることを思い出せない日も増えました。弟の居場所があやふやになったことで、面会に行くことがなくなったようです」
実際、おすぎが施設に入った2か月後の昨年4月、ピーコは本誌・女性セブン記者に、「おすぎ? おすぎはもう死にました」「ずっと認知症で入院していたのですが、2月に亡くなりました」と説明していた。