がんこなのにリベラルでもあるところに心惹かれる
新平は椎名町の自宅から池袋までとか、かなりの距離をすたすた歩く。連載当初、「この年齢でこれだけの距離を歩くのはちょっと難しいと思う」というもっともな疑問が編集者から出たそうだが、モデルのお父さんが実際に歩いているので、そのままいくことになったという。
建設会社を経営していた新平は建築に興味があり、いろいろな建物を見て歩く。その際、レストランや喫茶店に立ち寄ることも欠かさないので、梵寿鋼が設計したビルや住宅街にあるパーラーなど、読んでいると行ってみたい場所が増えていく。出てくる場所はすべて、藤野さんがこれまでに訪ねたところで、中にはコロナ禍で閉じてしまった店もある。
健脚で健啖家で洋食と甘いものが好き。がんこで自分勝手なところもあるが、人に親切で、当意即妙のユーモアで受け答えできる。趣味は写真撮影とヌード写真集の蒐集。こんな老人がいたら楽しいだろうなというファンタジー的設定ではなくて、ほぼドキュメントだというのが驚きだ。
新平が考案した日課であるオリジナル体操も小説の中でどんどん時間が延びていく。最初は40〜50分だったのが今では1時間半。コロナ禍で出歩けなくなると、健康器具を使って足腰が衰えないように工夫する。朝食は、きなこやすりごま、干しぶどうを加えたヨーグルト、梅干しと煎った米ぬか、はちみつが朝食という健康おたくぶりだ。
「この小説を書き始めたころよりも、自分の体力がどんどん衰えているのを感じて、新平さんみたいに毎日ああやって体操することで、体力って本当につくんだなって思います。最近では私のほうがむしろ弱ってるんじゃないかって思うぐらい」
妻の介護だけでなく、子どもの借金返済問題も抱えて、明石家は結構深刻な状況でもあるが、新平は不満を顔に出さず、淡々と自分がするべきことをする。軍隊経験者だがリベラルなところがあり、かくれアメリカかぶれの民主主義者だ。
戦争を経験し、「不自由な時代をたっぷり生きてきた」からこそ、子どもたちには自由に生きさせたいという気持ちが彼の芯にある。
「がんこなのにリベラルでもあるところに惹かれますね。知り合ってもう30年近くで、友だち抜きで旅行に行くこともあるんですけど、あのふしぎな包容力はどこからくるんだろうと思ったりします。いつもふざけてるし、でたらめと言えばでたらめなんですけど」
『じい散歩』が好評と聞いて、モデルとなった友人の父は愛用のMacで一代記を書き始めた。
英子のモデルである妻の遺骨を散骨すると決め親戚にも知らせたのに、いつの間にか樹木葬の墓を買って納骨式をすると宣言されたそうで、リアル『じい散歩』は続いている。
【プロフィール】
藤野千夜(ふじの・ちや)/1962年福岡県生まれ。千葉大学教育学部卒業。1995年『午後の時間割』で海燕新人文学賞、1998年『おしゃべり怪談』で野間文芸新人賞、2000年『夏の約束』で芥川賞を受賞。ほかに『ルート225』『君のいた日々』『D菩薩峠漫研夏合宿』『ホームメイキング同好会』『編集ども集まれ!』『団地のふたり』『じい散歩』など著書多数。
取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2023年12月14日号