志帥会(二階派)も解散を決定(時事通信フォト)
過去にも”偽装解散“の歴史があった
その岸田派が総会を開くのは1月23日の予定だ。派閥総会での手続きも踏まずに首相が解散を言うのは民主的でさえない。「おやじ(派閥会長)が白だと言えば、黒でも白というのが派閥だ」(金丸信・元自民党副総裁の言葉)という派閥の論理そのものではないか。
しかも、岸田首相は同派の解散を表明したぶら下がり会見で、「他の派閥のありようについて何か申し上げる立場にない」とも語った。岸田派のことは自分で決められても、他派閥の決定には関与できないという言い分そのものが、自分が現在も「岸田派会長」だという認識を持っていることを示している。
「派閥離脱したとウソをついた総理が、いまさら岸田派を解散すると大見得を切ったところで、国民は信用しないのではないか」(前出・無派閥議員)と足元を見られるのは当然なのだ。
実際、自民党には危機に陥って派閥を”偽装解散”した過去がある。
リクルート事件、東京佐川急便事件で政治不信が高まり、自民党が総選挙に敗北して野党に転落した1994年11月、時の河野洋平総裁は自民党改革の目玉として「派閥解散」を決め、各派閥は事務所を閉鎖して看板を下ろした。だが、すぐに各派閥とも名称を変えて「政策集団」という名目で元通りに復活した経緯がある。
岸田首相は裏金事件を受けて設置した自民党政治刷新会議では、無派閥議員から「派閥解散」論があがっても”無視”を決め込んでいたが、いざ、特捜部の捜査が岸田派に及ぶと、政権と自分の保身のために派閥解散へと態度を豹変させた。
派閥離脱の時と同じく、首相の岸田派解散宣言などその場しのぎの”偽装解散”にすぎないことが透けて見える。