これまで町長は2023年6月の週刊誌報道で辞職を否定、町長に対する辞職勧告決議案も1票差ながら否決された経緯がある。これについて報告書によれば〈町長が辞職されたとしても、町長が町民である限り、議員を通じて不利益が生じることがあるのではないかと恐怖です〉と回答した職員の声がある。世代の問題、都会と田舎の違いとかでなく町長の問題、それによって〈異常な町政〉のまま来てしまった岐南町の不幸、ただその一言に尽きると思う。
それにしても町長はなぜ、調査報告書の通りとするなら、まるで中世の暴君のような行為を繰り返し、君臨してしまったのか。
思想家ミシェル・フーコーは「権力」についての論考でも知られるが、その中には「権力は上からでなく下から作られる」という言葉がある。もちろん誰もがそうなるわけでなく、本人のパーソナリティも重要な因子のひとつではあるが、なるほど町長も選挙で選ばれた。1票差とはいえ辞職勧告決議案は否決された。否決もまた、選挙で選ばれた町議会議員の多数決によるものだ。
実のところ、多くの地方自治体でここまで酷くなくとも首長や市町村議員の暴走が目立つ。いや、政府・自民党そのものが政治資金パーティー収入の裏金問題と税金逃れという状況、結局のところ同根のように思う。
実際、第三者委員会の調査報告書には職員の証言としてこうもある。
〈町長からの食事の誘いを断った職員に対して、町長お気に入りの部長を介して、女性職員に食事に行くよう強要したと後輩から聞いております。応じたくないと一生懸命に対応する後輩にそのようなことを強要していると思うとただただ不快です。そのような協力者がいるからこそ、助長されていたところもあります〉
まさに「権力は上からでなく下から作られる」そのものだろう。歴史上で否定的に語られる権力者の中にも、どれだけこうした〈不快〉な「協力者」がいたことか。世代関係なく、みなさんの会社組織や地域コミュニティ、ともすれば家庭にもそうした身に覚えがあるかもしれない。
第三者委員会の認定を受けての会見では泣き出してしまった町長、それでも当初は5月末まで町長を続けるとしていたが「心が折れた」と3月5付で辞職することになった。報道によれば実兄に怒られたことも理由だったようで、世代の問題でなく実兄はちゃんとしていた、しかるに町長は、ということか。