「10.19決戦」のホームランはヒットでよかった
保育士として活躍する高沢に話を聞いた
自身の人生で忘れられない出来事として、「10年前に家内が亡くなったことと、10.19ですね。球史に名が残る試合に自分も参加できたことは宝物です」と振り返る。
リアルタイムで見ていた野球ファンは忘れられない試合の1つだろう。
1988年10月19日。西武と熾烈な優勝争いを繰り広げていた近鉄に対し、本拠地・川崎球場でロッテが迎え撃った伝説の「ダブルヘッダー」だ。近鉄は2連勝すれば逆転優勝が決まるが、1試合でも引き分け、負けるとその時点で潰える。1戦目は近鉄が4-3で逆転勝利を飾り、リーグ優勝に王手をかけたシーズン最終戦の2戦目。最下位に低迷したロッテだが、「4番・中堅」でスタメン出場した高沢は首位打者のタイトルがかかっていたため必死だった。
近鉄は1点を勝ち越した8回にエース左腕・阿波野秀幸をリリーフに送る。1死走者なしで打席に立った高沢はスクリューに2球連続空振りしたが、3球続いた決め球を左翼スタンドに運ぶ。満員で埋まった川崎球場がどよめいた。痛恨の同点弾を浴びた阿波野はマウンド上でうなだれ、膝に両手をつく。試合は延長10回で時間切れにより引き分けに。高沢の一撃が近鉄の夢を打ち砕いた。
1点差を追いかけるあの場面。本塁打を狙っていたのだろうか。この問いを即座に否定した。
「本当にたまたまです。スクリューにバットが当たる気配がしなかったし、ホームランを打つなんて夢にも思っていなかった。ライト前に安打を狙っていたんですが、落ちたところをバットの先っぽに当たってすくい上げるような形で振り抜いたら飛んじゃって。申し訳ないなと思いましたよ。こっちも首位打者のタイトルかかっていましたけど、別に本塁打じゃなくてヒットで良かったですし……」
36年前の出来事に、申し訳なさそうな表情を浮かべる。翌年に近鉄の本拠地・藤井寺で試合をした時は「余計なことをしやがって!」とスタンドからヤジが飛んだという。「パ・リーグは当時、お客さんが少ないから声が丸聞こえなんですよ。でも近鉄がこの年に優勝して良かった。ロッテはさておきですけど(笑)。今となっては良い思いですね」と穏やかな笑みを浮かべる。保育士として充実した生活を送る日々だが、必死にプレーした野球人生は色褪せない。
(了。前編を読む)
◆取材・文・写真/平尾類