水原氏は違法賭博に関与したと報じている(右)
一平は「幸運の持ち主」
水原氏が野球の仕事に就きたいという夢を抱き始めたのは、ドジャース・スタジアムへ野茂英雄投手を観に行ったのがきっかけだ。同スタジアムで2009年に開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝戦は、2人で一緒に3塁側の席から観戦した。イチローが決勝打を放って韓国に勝利した、あの伝説の試合だ。エンゼルスのスタジアムには松井秀喜選手の応援にも駆けつけた。ひたむきな姿を見せていた水原氏は、自分の進路を模索していた時期もあったという。
「カリフォルニア大学を卒業した後、日本酒を販売する会社に就職していたことがありました。うちに売り込みに来ましたが、営業はあんまり上手くなかったかな。うちで働いていた時は、時給8〜9ドルでホールに料理を運ぶ仕事をこなしていました。
僕が甲状腺をとる手術をした時には、夜中にお父さんと一緒に来てくれて、病院で通訳をしてくれた。『こういうこと言ってますよ』とか、『店長、これから麻酔を打ちますよ』とか。3回くらいはつれて行ってもらったことがありますよ」
真面目だけど不器用、それでいて優しい一面も––––。松木さんの口調からは、水原氏のそんな人柄が浮かんでくる。
紆余曲折を経た水原氏は、2011年にヤンキースへの移籍が決まった岡島秀樹投手の通訳として働くことになった。しかし入団直前にフィジカルチェック(身体検査)に引っかかり、岡島は契約を解除。水原氏も職を失ったが、翌年から日本ハムの球団通訳を務める。そこで大谷選手と出会い、2018年、ともにエンゼルスへ渡った。松木さんが回想する。
「その直後に一平ちゃんは奥さんと大谷選手を連れて店に食べにきてくれたんです。窓際のテーブル席に座り、大谷選手に『どうも来ていただいてありがとうございます』と挨拶をしたのを覚えています。一平ちゃんのお父さんは、息子が大谷選手に出会えたことを、『幸運の持ち主だ』と嬉しそうに話していましたね」