小田原の甘柑荘(Tomoko_Mikoda/amanaimages PLUS )
厳しい情勢の中、1938年に嘉子と中田正子、久米愛、3名の同窓生が悲願の合格を果たす。
「三淵さんは大学卒業時に総代を務めるほど優秀で遊ぶ暇もないほど勉強熱心だったと聞きます。裏を返せば、そこまで優秀でなければ、女性は受からない時代だったのです」
一方、普段の嘉子はとても明るく人気者だったようだと、村上さんは続ける。ドラマでは学生時代がどう描かれるのだろうか。
嘉子さんの明朗快活な素顔をのぞく
嘉子は先の戦争で夫を亡くし、1956年に最高裁調査官(当時)の三淵乾太郎と再婚する。乾太郎の縁戚で、一般社団法人三淵邸・甘柑荘保存会代表の上谷玲子さんが話す。
「おふたりは単身赴任生活が長く、再婚同士で互いに子供もいました。盆暮れ正月は小田原の別荘に集っては、家族そろって賑やかに過ごしたそうです」(上谷さん)
その別荘は『甘柑荘』と呼ばれ現在もきれいに保存されている。甘柑荘で過ごす嘉子さんの日常が写真には多く残っている。定年退職後はここを拠点に、観光旅行やスポーツなどを夫婦で楽しんでいた。
取材・文/桜田容子
※女性セブン2024年4月11日号