うたのおにいさんを2代目の方と交代したときは、すごく寂しかったです。出演中はスキーはダメ、ケガをしてはダメなどとNHKから言い渡され、自分でもパチンコや飲み屋に行かない、などと決め事をしていました。子どもたちの夢を壊しちゃいけない、というプレッシャーがあったんでしょうね。コンサートの後、お客さんの最後の1人まで笑顔でサインや握手をして、フラフラになったりしていました。
でも、自分には合っていたのだと思います。もともと生真面目で堅苦しい人間で、変な正義感があったんです。小学生のとき、父親と映画館に行ったら、禁煙の張り紙があるのにタバコを吸っている人がいると、「禁煙ですよ」と注意しに行っていました。父親が「やめろ」と制止するのにきかないで(笑)。
『ビューティフル・サンデー』秘話
『ビューティフル・サンデー』のヒットは、TBSの朝の情報番組『おはよう720』の海外取材コーナー「キャラバンII」から生まれました。『おかあさんといっしょ』出演中の1975年、「キャラバンII」のリポーターとして、旧ユーゴスラビアを旅する企画の話をいただいたんです。初めての外国ですから行ってみたいけど「1か月かかる」と。「ちょっと無理ですね」といったんはお断りしたんです。ところが、NHK側が「滅多にないことだから行ってきたら」と『おかあさんといっしょ』を録りだめしてくれて、行かせてくれたんです。本当に感謝です。この歌に巡り会えなかったら、今の僕はなかったかもしれません。
『ビューティフル~』は日本から一緒に行ったクルーの1人のドライバーが、ヨーロッパのレコード店で“ジャケ買い”した1つでした。僕らは移動中、英国人ダニエル・ブーンさんが歌う、そのカセットテープをずっと聴いていて気に入り、「キャラバンII」のテーマ曲になったんです。
『ビューティフル~』は視聴者にもとても好評で、僕が旧ユーゴスラビアで見つけたクロアチアの愛唱歌『オー・マリヤーナ』をA面に、『ビューティフル~』をB面にして1976年に発売すると、『ビューティフル~』の方が好評で。僕としては自分が見つけてきた『オー・マリヤーナ』より売れたのは悔しくもありましたが(笑)、『ビューティフル~』は何十年と歌ってきてもまったく飽きません。
『ビューティフル~』はほかにもいろんな方が歌った競作で、なぜか僕の歌った『ビューティフル~』がヒットしました。運が良かったのだと思います。声が歌に合っていた、といってくださる方もいますが、僕にはよくわかりません。僕としては森進一さんのような、ハスキーな特徴ある声の方が羨ましいと思っていたんですよ。