《1986年11月「リベンジ髪切りデスマッチ」》長与も負けじとサソリ固めで応戦(写真/AFLO)
酒一気で50万円
長与は当時の熱狂ぶりについて「私の記憶では最高で年間310試合やったかな。バスで日本全国を回りましたが、会場はどこも超満員だった」と語る。
過熱する女子プロレスブームの渦中にいたブルは当時の懐事情を打ち明けた。
「バブル期ですべてが派手でした。私は給料制でしたが、2年目にはダンプさんと組んでメインの試合に起用されると月収は約70万円。当時、地方巡業には暴力団関係者のような人も絡んでいて、試合後の打ち上げに呼ばれてお酒を一気飲みすると50万円貰えたり、そっちの収入も多かった(笑)。ダンプさんやクラッシュの2人は歩合制で私とは桁が違ったんじゃないですかね」
1980年代の女子プロレスブームを支えたのは、誰よりも当時のレスラー自身だったと長与は言う。
「当時のレスラーはいまのレスラーほど技術はありませんでしたが、ダンプ松本のように特殊メイクや演出で観客を惹きつけることができた。セルフプロデュースはめちゃくちゃうまかったと思います」
史上最高のスターと史上最凶のヒールの抗争が奇跡のブームを生んだ。
取材・文/栗原正夫
※週刊ポスト2024年5月31日号