二つの「別の道」

 これまで何度も指摘したように、欧米列強が植民地獲得競争をしていた帝国主義の時代に、当初日本は中国・朝鮮と一体となって欧米の侵略を跳ね返そうという理想を抱いていたが、この構想はもろくも崩れた。なぜ崩れたかと言えば、やはり「朱子学の呪い」だろう。ひょっとしたら若い読者はなんのことかと思うかもしれないが、それは『コミック版 逆説の日本史』の「江戸大改革編」「幕末維新編」あたりを詳しく読んでいただきたい。それがどういうものであったか説明するには、それぐらいの紙幅が必要なのだ。

 ちなみに一つだけ言っておけば、韓国はいまでも日本が邪魔したから自力で近代化できなかった、と声高に主張する。しかしそれは大きな間違いで、朱子学に骨の髄まで洗脳された大韓帝国は単独では絶対に近代化できなかっただろう。だからこそ当時の大韓帝国総理大臣李完用は、「国を民族ごと日本に預ける」という決断をしたのだ。しかしこの大英断もいまだに評価されず、いまでも彼は韓国では極悪人扱いである。

 だからこそ、朱子学に洗脳された中国や朝鮮と組むことは不可能だということで、日本は別の道を行かざるを得なかった。別の道というのは、大きく分けて二つある。一つは欧米列強グループに入会し、「大親分イギリス」の「弟子」となって「収奪する側」に回ることだ。日露戦争の直前、当時の首相で山県有朋を押しのけて陸軍の代表者となった桂太郎が、「フィリピンはアメリカの植民地であり、現地の独立運動を日本は応援しない」と約束した桂‐タフト協定がその第一歩で、日本はこちらのルートを選択した。

 では、選択しなかったもう一つのルートはなにかと言えば、現在、何度も続きを述べようとしては挫折している(笑)一九一五年(大正4)十二月、来日していたインド独立の闘士ラス・ビハリ・ボースが国外退去を命じられたときの状況を語れば、おのずとあきらかになる。これまでも述べてきたように、彼に国外退去が命ぜられたのは当時の日本が英米協調路線を基調とする大隈内閣であったからだ。

 国外退去と言えば穏当な措置に見えるが、そうでは無い。日本を一歩出れば、彼はイギリス官憲に逮捕され処刑される可能性が非常に高かった。そこで彼は当時日本に滞在していた孫文にアドバイスを受け、英米協調路線とは違う路線を選択していた人々に助けを求めた。頭山満であり、犬養毅である。そして実際に彼をかくまったのは、同じ路線の選択者であった新宿中村屋の人々であった。

 前にも述べたように、ボースは十二月一日の夜、頭山満邸で変装し官憲の尾行をまいて、新宿中村屋に逃げ込んだ。中村屋の経営者であった相馬愛蔵・黒光夫妻は、後にボースの妻となる長女・俊子とともにボースをかくまった。

 ここで、相馬愛蔵と黒光の経歴を紹介しておこう。(いずれも『国史大辞典』吉川弘文館刊 項目執筆者井手文子より)

〈相馬愛蔵 そうまあいぞう
一八七〇 ─ 一九五四
明治から昭和時代にかけての製菓業者。東京新宿中村屋の初代店主。明治三年(一八七〇)十月十五日信濃国穂高に生まれ、二十三年東京専門学校卒業。三十年星りょう(のち号黒光)と結婚し、本郷にパンを製造小売する中村屋を創業した。夫婦ともに時代をさきがけ、単に商人としてでなく「己れの生業を通じて文化国家に貢献したい」という事業観と文化観をもってパンや菓子の普及につとめた。四十年新宿に支店を開き、四十二年店舗を本郷から新宿の現在地に移し、経営の多角化をはかり、カレー=ライス、ボルシチ、中華饅頭、月餅など国際的な食品を日本人生活にとりいれた。妻黒光を中心とする中村屋文化人サロンを側面から援助したことは、当時の夫婦関係の常識からすれば非常な寛容さであって、愛蔵の人柄の大きさを示したといえる。店員の扱いは公平平等であり、昭和十四年(一九三九)株式を公開するなど明治人の理想主義と気骨をみせた。同二十九年二月十四日没。八十三歳。(以下略)

相馬黒光 そうまこっこう
一八七六 ─ 一九五五
中村屋初代店主相馬愛蔵の夫人。随筆家。本名はりょう、黒光は号である。明治九年(一八七六)九月十二日仙台に生まれる。旧仙台藩士星喜四郎の三女。少女時代に父を失い、姉が精神に異状を来たし家産が傾くなかで母とともに健気に未来を開こうとし、キリスト教に帰依した。宮城女学校に入学したが退校、横浜のフェリス女学校に入学、二十八年巌本善治の明治女学校に転校、ここで巌本をはじめ島崎藤村・星野天知ら『文学界』の作家らに接して芸術への視野を広め、星と菫の女学生時代を過ごす。卒業後教会の島貫兵太夫の紹介で相馬愛蔵と結婚。やがて上京して本郷で夫とともにパン店を始めた。のち中村屋として発展した経済基盤のうえで、絵画・文学・演劇のサロンをつくり、多くの作家ばかりでなく国際的な人間交流を支えた。彫刻家の荻原守衛、画家中村彝(つね)・戸張孤雁・柳敬助、文学者の秋田雨雀・神近市子、静座法の岡田虎二郎、ロシアの詩人エロシェンコ、インド独立運動のビハリ=ボース、朝鮮独立運動の志士ら多くがこの家をよりどころにしたのは黒光の魅力と力量による。昭和三十年(一九五五)三月二日没。七十八歳。(以下略)〉

 黒光が転校した明治女学校の校長巌本善治は、勝海舟の回顧録とも言うべき『海舟余話』をまとめた人物で、勝の孫を産んだアメリカ人クララ・ホイットニーも女学校で教鞭を執っていた。また、新宿中村屋の名物にカレーがあるのもビハリ・ボースが本場のカレーを伝授したからだという。

 このように、アジアと固い絆を持った人々も少なからずいた。しかし、その人々の思いは日本の主流とはならなかった。

(第1423回へ続く)

【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2024年7月12日号

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