本葬にて喪主を務めた敬子さん
「そこまで責任を負う必要はない」
これに相続税がかかって約二十一億円が引かれると、約九億円が手許に残る──というわけにはいかない。力道山は相模湖畔にレジャーランドの建設に着手していた。ゴルフ場、遊園地、レース場、ホテルの大計画で費用は十七億円、この頃、まさに工事に入ろうとしていた。
すなわち、力道山の遺産を相続するというのは、自動的に約八億円(現在の価値で約三十億円)の負債を背負うということだ。
未亡人である敬子には、相続を放棄するという手もあるにはあった。事実「お腹の子は茅ケ崎の両親に預けて、あなたはスチュワーデスに戻ればいい」と言う人もいた。
「上の三人は実子じゃないんだし、結婚半年の二十二歳の未亡人が、そこまで責任を負う必要はない」というわけだ。正論と言えば正論かもしれない。
しかし、敬子はそれは考えなかった。
「そんな無責任なことは出来ないでしょう。みんな路頭に迷ってしまう。千恵ちゃんは短大を辞めなきゃいけなくなる、よっちゃんとみっちゃんは、私立から公立に転校しなきゃなんなくなる。『そんなことを、あの人は絶対に望んでない』って思ったんです」(田中敬子)
敬子は社長を引き受けることにした。