品川区にある碑文谷一家本部。ドアの側に掲示スペースがある(撮影/鈴木智彦。以下同)
指定暴力団稲川会碑文谷一家は、江戸時代から続く老舗博徒一家である。十一代目の熊谷正敏総長は『Young Yakuza』というドキュメンタリー映画にもなり、彼への聞き書きは『熊谷正敏 稼業 頭角の哲学』という書籍にもなった。稲川会では渉外委員長を務めており、業界では独自色の強い武闘派として知られる。
たとえば総長が率いる碑文谷一家の本部ビル(品川区)には、出入り口の横にアクリル板で覆われた掲示板スペースが設置されている。
普段、張り出される紙には筆文字で「ただ笑う」とか、「金がないから何も出来ないという人間は金があっても何も出来ない」という、暴力団の実学から導き出されたのだろう気づきや、生きるためのヒントとなるひとことが記されている。
寺の門前にある掲示板にも、住職が書いたであろう釈迦のエピソードや仏典から抜き書きしたセンテンスが張り出されるが、イメージとしてはそれと近い。全国でも同様の掲示をする暴力団事務所は他になく、暴力団史を振り返ってもこんなことをするのは十一代目碑文谷一家だけだ。
2024年11月……闇バイトによる強盗事件が頻発していた時期、この掲示スペースに以下のような告知文が張り出された。
〈告知。昨今、闇バイト、オレオレ詐欺、強盗等多発しておりますが それらの者、組織、団体には碑文谷一家の縄張りに於いて、当家は断固たる処置を取ります(品川区、大田区、世田谷区一部、目黒区一部)〉(※句読点の一部は筆者)
暴力団のメンタリティを考察する上で興味深く、すぐ碑文谷一家を直撃して記事を書いた(【暴力団VS闇バイト】「ウチの縄張りで強盗をしたら断固たる処置を取ります」有名ヤクザ組織が強盗団に“義憤文”を掲げていた 幹部が口にした“掲示の理由”)
記事は様々な憶測を呼んだ。
曰く、暴力団が社会に媚びを売ったとか……暴力団の悪行三昧を考えれば当然の辛辣な声もあった。事実、オレオレ詐欺のような犯罪グループには、暴力団の一部が関与している。闇バイトによる強盗事件だって、元暴力団や周辺者ばかりか、現役暴力団関係者がいてもおかしくない。
しかし、碑文谷一家によるこの告知は暴力団社会に刺さった。全国の指定暴力団幹部たちが賛同し、日本最大の暴力団である山口組も、公式に闇バイトによる無差別・無軌道な強盗事件を認めないと宣言したのだ。
暴力団はメンツで生きる人種である。強盗を許さないと告知した以上、なにかあれば見逃すわけにはいかない。強盗の一味が身内にいれば厳しい処分を下すだろうし、場合によっては実力行使も辞さないだろう。
時代はもはや令和である。市民社会のただ中で私的制裁を匂わせるような告知は許容できない。この時、警察は掲示の撤去をとりあえず「要望」の形で伝え、碑文谷一家は穏便に告知文を取り下げた。わずか数日の掲示だったが、結果、闇バイトによる強盗事件は目に見えて激減したのだ。
結果はもちろん、ただの偶然だろう。
同時期、警察や政府も盛んに注意喚起をしており、世論の怒りも臨界点を超えていた。とはいえ、暴力団が反社の王なのは紛れもない事実である。悪人や犯罪者にとっては、警察以上に恐怖の存在で、相応の圧力だったに違いない。
その碑文谷一家がいつも通りのゆるふわな人生訓を下げ、再び告知文を張り出したと情報が入った。さっそく事務所に出かけると、今度の告知はストーカー犯罪についてだった。