肩を落とす篠原と喜ぶドゥイエ。シドニー五輪決勝の判定は“世紀の誤審”と呼ばれた(時事通信フォト)
シドニー五輪「世紀の誤審」の背景
2000年9月22日、シドニー五輪100キロ超級の決勝戦。日本代表の篠原信一の対戦相手は、世界選手権覇者で96年アトランタ五輪王者のダビド・ドゥイエ(フランス)だった。
1分半が過ぎたあたりで篠原はドゥイエの内股に反応し、右脚を高く突き上げて内股すかしで切り返す。ドゥイエは背中から、篠原は横から落ちた。篠原は一本勝ちを確信したが、判定は有効。しかも篠原ではなく、ドゥイエのポイントとなった。
最も近くにいた副審は篠原の一本勝ちを宣告したが、主審ともうひとりの副審がドゥイエの有効と判定。そのポイントのまま試合は終了し、篠原は銀メダルに終わった。
試合後、日本は山下泰裕監督と斉藤仁コーチが猛抗議したが認められなかった。後に全日本柔道連盟(全柔連)が抗議文を送り、国際柔道連盟(IJF)は「両者とも技は完全ではなかった」として、ドゥイエ有効の判定を誤審と認めた。
篠原の勝利に覆ることはなかったが、これがビデオ判定導入のきっかけとなった。
「柔道は相撲と同じように選手が同体で倒れることが多い。相撲は先に落ちたとか、先に土俵を割ったという明確な判定基準があるが、柔道の場合は“どちらの体が死んでいるか”が重要で、判定の難しさでもある。百戦錬磨の選手でないと、“相手に投げられたか、技を返したのか”という違いがわからない。
シドニー五輪決勝の審判を責めるつもりはありません。主審は篠原やドゥイエの技のレベルを体験したことがなかったからです。あえて言うなら、なぜ彼を決勝の審判員にしてしまったのか、ということでしょう」
主審を担当したのはニュージーランド出身の柔道家で、実力は「二段」だったといわれる。