社交ダンスをしていたという節子さん(吉田さん提供)
妻・節子さんとの出会い
酒に女をたしなむシングルライフを満喫する人生になるであろうと本人も、親族も考えていた頃だった。40歳を目前にして、出会ったのが節子さんだった。
「新宿のお店をオープンする時に、女性スタッフを募集したわけですよ。そこで派遣会社から来たのが節子さんでした。今でもよく覚えているんですが、履歴書を見ると、僕の2つ下になっていた。ほんとは6つ上なのに(笑)。
節子さんは離婚していて、バツイチでした。渋谷の出身で、元旦那さんは小さな会社を経営されていた。でも不倫されたり暴力があったみたいで、元旦那さんが仕事している間に、子供を連れて逃げ出してきたと聞きました」
2人で写る写真を手に取る吉田さん。
「最初は好きだとか、可愛いなとかもなかったな。娘がいることも妹だって言って隠してね。節子は仕事が終わると、すぐに帰っていて、周りも俺たち2人が結婚するとは思わなかったと言っていましたよ」
ドイツレストランは1、2年で閉店し、次に節子さんが働く場所を吉田さんが紹介したことから仲が深まっていく。
「新宿御苑の店を紹介したんだけど、やっぱりたまに顔出すじゃない。働きぶりというか、どうですか、みたいな。それで飲みに通うようになって。それからなんです。
1991年に同棲を始めて、1994年に籍を入れました。50歳の頃ですね。籍を入れずに一緒に住んでいたら、お袋に怒られましてね。節子に相談したら、彼女は離婚しているし、子供もいるので、あまり乗り気じゃなかったみたい。
付き合っている時に節子が子宮頸がんをやってるんですよ。入院して、手術もして結構大変でした。5か月ぐらい入院したのかな、そのフォローもしました。そのこともあってね、節子に言われたのはね、お礼で結婚してるようなもんだからって。お互い素直じゃねえからね(笑)」