数多くの時代劇を手掛けてきた古賀博隆氏
真田広之が「すごいやつを呼んだ」
──現場での古賀さんの役割をお聞かせください。
衣装の着付けの指導ですね。最初は、バンクーバー在住の着付けのできる日本人をディズニーが募集したらしいんです。でも、成人式とかやったらできるんですけども、そういう時代劇の衣装はまた違うんですよね。狩衣(かりぎぬ)とか、直垂(ひたたれ)とか、ああいう特殊な時代劇の衣装の着付けは、やっぱり、できないんですよね。
それから、もう一つ役目がありました。新しい衣装ができたら、マンモススタジオという大きなスタジオがあって、そこに撮影現場から呼び戻されるんです。「古賀さん、ちょっと来てくださいと、フィッティングがありますので」って。で、マンモススタジオに車で連れて行かれて、役者さんたちに着付けするんです。衣装の家紋の位置などの確認もしていました。
──時代劇の現場に長年いた古賀さんからすると、今回の現場に違和感を覚える時はありましたか?
「うん?」となることは何度かありましたね。ある女優さんに衣装をつけたら、爪が真っ赤に塗られていたんです。「これはマズイんちゃうか」と思っているところに真田さんがちょうど車で到着して。それで真田さんを手招きで呼んで「こんなのはないから、ちょっと落とさせてくれ」って言いました。
──その距離感で真田さんに言えるのが、古賀さんの強みですね。
あとで反省しましたよ。主演兼プロデューサーを手招きですからね。
──他にも、助言した箇所はありますか?
漁村の場面ですね。村人がみんなわらじを履いているんです。村人にわらじはおかしい。普通は「冷飯(ひやめし)」っていって、いわゆる、安っぽい履物なんです。でもスタッフから「いや、今から取り寄せは不可能だ。これでいかせてほしい」と言われまして。そこは妥協しました。
──そういう生活風俗までは、実際の時代劇の現場を経験していないとわからないところがありますからね。
そうなんですよ。そういう、ちょっとしたことが目立っちゃうんですよね。他にも、漁師がとんがってる帽子みたいなのを被っているというのもありました。これは同じく京都から参加していた原田徹監督と「三角はおかしいよね」って確認し合って、なるべくそれをかぶってる人を減らして、かぶってない人を増やしましたね。やっぱり、感覚が少し違うんですよね。
──真田さんがこれまでのハリウッドの現場でそうした違和感を覚えてきたから、今回は京都からもスタッフを入れてちゃんとさせようとしたのでしょうね。
そう、真田さんも気づくんです。ある時、真田さんが「古賀ちゃん、古賀ちゃん、あの袖は長すぎないか」と言ってきたことがありました。たしかに、ある俳優の衣裳の袖が本来のより長かったんです。それで僕が「ああ、じゃあ見てくるね」って言って行ったところ、ふっとその俳優の腕を見たら、タトゥーが入ってるんですよ。なので「いや、真田さん。これはあえて長いのを着せてるみたいよ。これはしょうがない」って伝えました。