1986年『時の流れに身をまかせ』で日本レコード大賞の金賞を受賞
そうしたなか、またしても政治がテレサの歌手活動に影を差す。1989年に北京で起きた「天安門事件」だ。ジャーナリストの田原総一朗氏が言う。
「改革開放で西側の文化や芸術が流入し、テレサ・テンのような流行歌が共産主義への反対を招くのではないかと共産党は恐れた。長らく敵対が続く台湾出身で香港や日本を舞台に活躍したテレサ・テン自身にも、自由や民主化を願う思いは強かったのでは」
中国本土で民主化を求める学生らが武力弾圧された天安門事件後は、日本のテレビに喪服を着て出演するなど、抗議の意思を隠すことはなかった。
失望したテレサはパリで暮らし始める。日本での最後のテレビ出演は1994年の10月に仙台で開かれたチャリティ・コンサートだった。その翌年、フランス人の恋人と訪れたタイで持病の喘息が悪化し客死した。
テレサと同い年でプライベートでも交遊があった歌手の小林幸子(71)は、突然の死をこう悼む。
「晩年、『来る時はぜひ遊びに来て』と香港の自宅の電話番号を書いた紙をくれたの。一度、電話して話した記憶があります。何を喋ったかは忘れたけど、そのまま会えずじまいでした。もう一度会えていたら。寂しいです」
〈私はひとり去ってゆく〉と歌った彼女だが、その歌声は今も残り続けている。
■前編記事《【没後30年・秘話発掘】「永遠の憧れ」テレサ・テンさん 小林幸子、片岡鶴太郎らが語った「彼女だけの歌声」「今も歌い継がれる理由」》から読む
※週刊ポスト2025年3月21日号