小林幸子一覧

【小林幸子】に関するニュースを集めたページです。

元NHK宮本隆治アナが明かす紅白舞台裏「勘九郎さんから届いた礼状」
元NHK宮本隆治アナが明かす紅白舞台裏「勘九郎さんから届いた礼状」
 毎年大晦日恒例のNHK紅白歌合戦。NHKのアナウンサーにとっては、とても重要な舞台の一つである。元NHKアナウンサーの宮本隆治さんが、紅白の舞台裏を明かす。 * * * NHKのアナウンサーには紅白の司会を目標にしている人が多く、私もそのひとりでした。もともと芸能志望でしたが、1973年に入局してから22年間、芸能とは無縁だった私が、1995(平成7)年に、初めて『歌謡コンサート』の司会に抜擢され、福岡から上京してすぐの担当でしたが、「なんとかなる」と思ってたんです。この番組は生放送で、NHKホール(3601席)のお客さんの前にひとりたたずみ、カメラを通じて全国の皆さんが見ていることに、本番になって初めて気がつき、のどは渇くわ、足は震えるわ……。その番組がいまの『うたコン』ですが、なぜ生で『うたコン』をやるかというと、12月31日の紅白も生放送ゆえ、魔物に襲われないように、すべてのスタッフが“刀を研いでいる”わけです。 紅白は12月25日に台本ができ、3日間で覚え、29日の朝8時から30、31日とリハーサル。31日は午後3時に全員が集まって顔合わせをし、歌手のスケジュールに合わせてパートごとのリハを行います。たとえば小林幸子さんの衣装セットを出し入れする時間が重要なのに、やってみないとわからない不安が常につきまとう。私の紅白の思い出の中で特に印象深い出来事は3つあります。 1つめは、1999年の第50回。白組司会の故・中村勘九郎さんから「西城秀樹さんの曲『バイラモス』を『バイアグラ』と言ったらどうしよう」と相談され、無事乗り切った思い出。 2つめは、2003年の第54回で小林幸子さんの巨大衣装が電気トラブルで正常に作動しなかったこと。その直後、舞台袖で目撃したのは、コンセントが抜けた装置を囲んでスタッフが腕組みする光景でした。3つめが、初司会を行った1995年の第46回。舞い上がっていた私に平常心を取り戻させてくれた鳥羽一郎さんの思い出です(詳細は下記のベスト3を参照)。紅白を見るたびに思い出し、いい思い出になっています。これからもいろんな歴史を刻んでほしいです。宮本さん「心の紅白」ベスト3【1999年】 西城秀樹さんの曲紹介で「バイアグラ」と口走ることを恐れていた勘九郎さんに「バイで一回切ってラモスかアグラか考える。半透明テープにマジックで書いて貼る」という2案を伝授した。無事に成功後にハグをし、正月には礼状が届いたという。【2003年】 3つの羽根のうち2つが動かない異変に裏で確認したところ、なんと舞台袖のコンセントが抜けていたのが原因と判明。だが、巨大な衣装の故障に動じず、堂々と歌い切った小林幸子の胆力に感服したという。【1995年】 この紅白で『兄弟船』を歌った鳥羽一郎は、豪華絢爛な衣装が多い中、Tシャツ、ジーパン、ゴム長靴、ねじり鉢巻きの合計7500円の衣装で登場。その質素さこそ、宮本アナに冷静さを取り戻させた神衣装だった。【プロフィール】宮本隆治/1950年、福岡県生まれ。1973年NHK入局。2007年よりフリーアナウンサーに。『宮本隆治の歌謡ポップス一番星』(CS歌謡ポップスチャンネル)などにレギュラー出演。取材・文/北武司 撮影/女性セブン写真部※女性セブン2022年1月6・13日号
2021.12.30 16:00
女性セブン
和田アキ子
TikTokで新曲がバズる和田アキ子 紅白復活は実現するか?
 コロナで翻弄された2021年も残り3か月。10月に入れば、音楽関係者の間では『紅白歌合戦』(NHK)の出場者予想が始まる。昨年はSixTONES、Snow Man、NiziU、BABYMETALなど10組が初出場を果たし、フレッシュな顔ぶれとなったが、今年はあるベテランの返り咲きに注目が集まっている。2016年以降、紅白落選が続いている和田アキ子の新曲が好評で、復活説が出ているのだ。 和田が紅白に初めて出場したのは1970年のこと。代表曲の1つ『笑って許して』で初出場を果たすと、それ以降9年連続で紅白に呼ばれ、一旦は出場が途切れるも、1986年から2015年まで連続出場記録は30年間続いた。その間にはトリや大トリを何度も務め、司会の大役を担ったことも。NHKにとって大功労者だが、時代の流れには逆らえなかった。「普段は視聴率争いから一歩距離を置くNHKですが、数字がそのままニュースになる紅白は別。若者のテレビ離れが急速に進む中、紅白は繋ぎ止めに必死で、そのあおりを食らったのがベテラン勢です。 近年、北島三郎、森進一、細川たかし、小林幸子、和田アキ子、伍代夏子、藤あや子などの連続出場が途切れたのは、その象徴的な出来事。北島、森、細川は一応“卒業”という形を取りましたが、昭和時代から活躍した彼らは紅白出場の意味を誰よりも理解しており、本意だったかどうかは定かではありません。和田に関して言えば、落選が決まった年、ラジオ番組で『今年の紅白は見ない』と発言しており、相当に未練はあるようです」(芸能ライター) しかし、そんな和田にチャンスが巡ってきた。和田の紅白落選の理由はNHKのみが知るところだが、“近年、ヒット曲がない”という批判があったのは事実。ところが9月に配信された新曲が好調なのだ。「9月2日にリリースされた『YONA YONA DANCE』という曲が現在、動画投稿サイト『TikTok』で爆発的にバズっており、YouTubeでのMVの再生回数も430万回に達しています(9月28日時点)。TikTokでは、振り付け動画を投稿するのがブームになっていて、有名芸能人や人気YouTuberも参戦。今後さらに勢いは加速しそうです」(ネットニュース編集者)連続出場が途切れてからの復活は難しいが…… 久々の復活となれば話題になるのは必至。抜群の歌唱力を誇り、存在感もビッグな彼女が加われば、紅組メンバーはこの上なく心強いだろうが、現実的には一旦出場が途切れると、復活はかなり難しい。ベテラン芸能記者の石田春男氏は、こう分析する。「いくらテレビの権威が落ちたとはいえ、『紅白』というブランドはアーティストにとって別格。毎年、限りある枠を奪い合っているわけで、ヒット曲が無いのに出場していた歌手が落選すれば、“お役御免”と考えるのが自然です。そう考えると、現状のブレイクでは和田アキ子の復活は難しいでしょう。 ただ、小林幸子のケースは1つの目安になりそうです。小林は毎年、豪華な衣装で紅白を盛り上げてきましたが、2011年を最後に出場が途切れました、しかし、豪華な衣装がテレビゲームのボスキャラに似ているとして、ネットで“ラスボス”と呼ばれて話題になり、にわかに若者の間でブレイク。2015年に特別出演が実現しました。 ここ数年、“おなじみの顔”が次々と消えている紅白ですが、番組のコアターゲットはやはりシニア層。流行りのアーティストを出場させて若者を取り込みつつ、確実にチャンネルを合わせてくれるシニアも満足させるためには、和田アキ子のようなベテランの存在は大切です。特別出演という形なら、紅白の功労者の和田に報いることが出来ますし、YouTuberと振り付けをコラボするような形なら、流行も上手に盛り込める。逆に言えば、和田にとっては今年が本当にラストチャンスかもしれません」(石田氏) 落選でNHKに恨み節を吐いたのも、“笑って許して”といった心境かもしれない。
2021.09.29 07:00
NEWSポストセブン
師匠・古賀政男の金言とは?(時事通信フォト)
小林幸子が振り返る古賀政男の言葉「しゃがんだ後、人は立ち上がる」
 日本を代表する演歌歌手のひとり、小林幸子。そんな彼女も1979年に『おもいで酒』がヒットするまで、歌手としての人生は必ずしも順調とはいえなかった。苦労した時代を支えたのは師匠・古賀政男の言葉である。小林が明かした。 * * * 9歳の時に、古賀政男先生が審査委員長をしている『歌まね読本』(TBS)というのど自慢番組に父親が勝手に応募して、グランドチャンピオンになりました。 収録後に先生から「この子を僕のもとで歌手としてデビューさせてみる気はありませんか」と言われ、子供の頃に歌手を夢見ていた父親は天にも昇る気持ちだったんでしょうね。「はっ、はい!」と即答し、母親の反対にも耳を貸さず、私はひとり上京して古賀先生の事務所にお世話になることになりました。 先生は優しいおじいちゃまのような存在で、私のことを「チビ、チビ」と呼んで可愛がってくださいました。でもひとたび外に出るとその存在の大きさがわかります。「チビがデビューするから着物やドレスが欲しい」と言って日本橋の行きつけのデパートに入ると、支配人をはじめお店の方がずらっと並んで迎えていました。その時に頂いた着物は今も大切にしています。 忘れられないのは、初めてのレッスンの後にいただいた言葉ですね。「チビ、歌では人はお腹いっぱいにならない。でも人の心を温かくすることはできる。そういう歌手に、いつかなりなさい」 目の前で飢えて苦しむ人を見てきたという先生のお話を聞き、お金も食べる物も大事だけど、苦しい時に励ましになることができれば、歌い手の存在が価値あるものになるのだと得心しました。〈小林は10歳の時に古賀作曲の『ウソツキ鴎』でデビューし、大ヒット。しかしその後はバラエティ番組やドラマなどで活躍するも、本業ではなかなかヒット曲に恵まれなかった〉 デビューから数年後、先生とこんなやり取りをしました。先生に「人は悲しくなると、どうなる」と尋ねられ、私が「泣いちゃいます」と答える。さらに先生に「涙が涸れたらどうなる」と聞かれ、私が「わかりません」と言うと、先生はこうおっしゃいました。「そこにしゃがむんだよ。そしてしゃがんだ後、人は立ち上がるんだよ」 その時は意味がわかりませんでしたが、後になってこの言葉が本当に身に沁みました。デビュー曲がヒットした後も下積み時代が長く続き、何回もしゃがみましたから。 倒れてしまうと起き上がるのに時間がかかるから「しゃがむ」。倒れる前にしゃがんで、立ち上がるまで力を溜める。『おもいで酒』(1979年)がダブルミリオンのヒットになったのは、先生が亡くなられた翌年のことです。レコード大賞の最優秀歌唱賞と紅白歌合戦の初出場は、墓前に報告に行きました。それから毎年欠かさずお墓参りをして、先生とたくさんお話ししています。 先生は生前、「平和になったら自分の歌が歌われない時代がくる。そんな世の中になってほしい」とおっしゃっていました。でも、古賀メロディは不滅です。ずっと歌い継いでいくのが、私たち弟子の役目だと思っています。※週刊ポスト2021年6月18・25日号
2021.06.14 07:00
週刊ポスト
【動画】小林幸子と小柳ルミ子「ガチャピンとムック?」な奇抜私服
【動画】小林幸子と小柳ルミ子「ガチャピンとムック?」な奇抜私服
 5月4日、ラジオに生出演したベテラン歌手の小林幸子さんと小柳ルミ子さん。ガチャピンとムックのような私服姿をキャッチしました。 小林さんは、全身明るいグリーンのトレーナー。小柳さんは、真っ赤なワンピースに鮮やかなブルーの手袋。 ラジオの中では、小柳さんが小林さんから「30年前と全然変わらない体型はすごいね」と褒められると、小柳さんは「40年前のほうがスタイルが良かったわ」と笑いながら返答していました。
2021.06.01 07:00
NEWSポストセブン
小林幸子と小柳ルミ子「ガチャピンとムック?」な奇抜ファッション
小林幸子と小柳ルミ子「ガチャピンとムック?」な奇抜ファッション
 小柳ルミ子が「アハッハッハ、さっちゃん、グリーンで。私は赤で」と言えば、小林幸子が「本当に真っ赤で。こうなると黄色がいないわね。ウッフッフフ」と返す。5月4日、ラジオに生出演したベテラン歌手の小林幸子(67才)と小柳ルミ子(68才)。まるで、ガチャピンとムックのような私服に顔を見合わせて大笑いした2人の姿をキャッチした。 小林は、全身明るいグリーンのトレーナー。小柳も、これまた真っ赤なワンピースに鮮やかなブルーの手袋。 小林に「30年前と全然変わらない体型はすごいね」と褒められると、「40年前のほうがスタイルが良かったわ」と笑いで返した小柳は、たしかにタイトなワンピースでスタイルの良さを証明していた。 新型コロナウイルス禍で、長らく大々的なコンサートができずに苦しむ音楽業界の中で、そんな重鎮2人が、人一倍吹っ切れている。 小柳は4月25日、歌手デビュー50周年記念シングル『深夜零時、乱れ心』の取材会で、報道陣の前にミニスカートと網タイツ姿で登場。ノリノリのロックミュージックを歌ってキレキレなダンスを見せ、指をかむセクシーポーズでアピールした。「あらゆることがストップする中で、去年は引退を決意していました」と漏らしたが、「日本の宝である桑田佳祐さん(65才)が私を褒めてくれる記事を拝見して、まだ芸能界に私のポジションがあるんだと。もうひと頑張りしようと決意できた」と、再始動した理由を明かした。 小柳の新曲をリリースしたレコード会社関係者は、「歌って踊れるようにと、毎日トレーニングをされていて、体調もすこぶる良好です」と語る。 小林も相変わらず元気いっぱいだ。5月9日には「歌神 降臨」と題して、初の単独生配信ライブを開催。2015年のNHK紅白歌合戦で披露した『千本桜』も、豪華なCGによるVRをバックに熱唱した。4月25日にも、千葉・幕張メッセでの「ニコニコ超会議2021」に、「BABAMETAL(ババメタル)」のボーカルとして白塗りのヘビメタメイクで登場。初めてヘビメタ歌唱を披露して、「ラスボスメタル化!」と大好評を博した。 芸歴57年の小林と50年の小柳。数々の修羅場を乗り越えてきた2人は、うつむき加減になりがちなこのご時世でも、元気いっぱいに活動している。
2021.05.25 16:00
NEWSポストセブン
NHK紅白歌合戦の視聴率回復の背景には様々な要因が考えられる(公式サイトより)
紅白視聴率回復を実現させた大御所頼み、昭和ソングからの脱却
 2020年大晦日の『NHK紅白歌合戦』は第2部の視聴率40.3%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)で、2年ぶりに40%の大台に乗せた。新型コロナウイルスの感染拡大による在宅率の上昇でテレビの総世帯視聴率がアップしていたこと、過剰な演出を行わずに歌をじっくり聞かせたことなど様々な理由が考察されている。 それらに加え、裏番組の『第53回 年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京系)と比較すると、もう1つの重要な要素が鮮明になる。演歌を中心に昭和や平成の懐メロが歌唱される『年忘れ』には、かつての『紅白』の顔が続々と登場。紅白への出場経験がありながら、2020年は不選出となった『年忘れ』出演歌手は69組にも上る。その中で、紅白出場回数ベストテンを算出してみよう(※特別出演含む回数。名前横は最後の出場年。『年忘れ』でソロ、『紅白』でグループ出場の場合は、ソロのみカウント)。1位:51回 北島三郎 2018年(特別出演。その前の出場は2013年)2位タイ:39回 和田アキ子 2015年2位タイ:39回 細川たかし 2015年4位:34回 小林幸子 2015年(特別出演。その前の出場は2011年)5位:29回 都はるみ 1997年6位:26回 美川憲一 2009年7位:24回 川中美幸 2011年8位:23回 八代亜紀 2001年9位タイ:22回 水前寺清子 1986年9位タイ:22回 伍代夏子 2015年 ランキングを見ると、30回以上の和田アキ子、細川たかし、小林幸子という大御所が2015年を最後に紅白に出場していない。48回の森進一も同年限りでの勇退を発表した。 この年は、当時紅白史上最低の39.2%(第2部)を記録。40%の大台を割り、2年前の44.5%から5.3%も下落した衝撃は大きかった。そのため、NHKは“ベテラン斬り”の改革を断行したと考えられる。紅白は同年を境に大きく変貌したのだ。 2015年と2020年の全体の曲目を比較すると、その具体的な内容も明らかになる。2015年はトリの近藤真彦『ギンギラギンにさりげなく』、松田聖子『赤いスイートピー』を始め、美輪明宏『ヨイトマケの唄』、和田アキ子『笑って許して』、森進一『おふくろさん』、細川たかし『心のこり』、レベッカ『フレンズ』、高橋真梨子『五番街のマリーへ』『桃色吐息』など20曲も昭和発表の歌だった(藤あや子が2003年にカバーした『曼珠沙華』は含めない)。 一方2020年は、ディズニーメドレーの2曲、郷ひろみ『男の子女の子』『よろしく哀愁』、NHK連続テレビ小説『エール』の企画として『福島行進曲』『長崎の鐘』『栄冠は君に輝く』、松任谷由実『やさしさに包まれたなら』、『守ってあげたい』、石川さゆり『天城越え』、松田聖子『瑠璃色の地球 2020』(昭和61年発売の自身の原曲のためカウント)の11曲が昭和発表の歌だった。 つまり、昭和ソングはほぼ半減している。全曲数(※メドレーは1曲ずつカウント、特別企画などの歌唱含む)から比率を算出すると、2015年は26.3%(全76曲中20曲)、2020年は17.7%(全62曲中11曲)と7.3%減に留まっている。しかし、2020年の昭和ソングは“必然性”を感じられるものだった。 郷ひろみは同年に逝去した筒美京平さんのトリビュートメドレーであり、『エール』は期間平均の世帯視聴率20.1%のヒットドラマである。松任谷由実は2015年以降で最も視聴率の良かった2018年の立役者(同年の歌手別視聴率3位)で、石川さゆりは毎年『天城越え』と『津軽海峡・冬景色』を交互に歌うことで注目を集めている。『瑠璃色の地球』は上白石萌音がカバーしたことでも話題になった。“今歌う意味”を見出せる選曲だったのだ。 歌手別視聴率でも、2020年限りで活動休止の嵐が1位の47.2%、大ヒットアニメ『鬼滅の刃』メドレーを歌ったLiSAが2位の46.6%と“今”を映し出した出場者が上位を占めた。 2015年は「なぜ今この曲を歌うのか」と視聴者が必然性を感じられない場面が多く、全体的な数字が下落したのかもしれない。事実、翌2016年は昭和ソングがわずか4曲と激減した一方で、視聴率は40.2%と回復した。 実は、紅白の“ベテラン斬り”は以前にもあった。1986年に視聴率59.4%と初めて60%の“大台”を割ると、翌年に大改革が行われた。〈過去最低を記録したのを機に演歌とアイドル歌手に偏っているといわれた選考方法を13年ぶりに見直す〉(1987年11月11日・朝日新聞) その空気を察して、事前に辞退を発表した大物歌手が2人いた。当時の最多記録である30回連続出場の島倉千代子は11月5日、記者会見を開いた。〈一昨年、29回目の出場が決まった時、30回を1つの区切りとしたい、と考えた。もし選考に漏れた場合、30回出場という勲章を傷つけることになる、と辞退を決心しました〉(1987年11月6日・朝日新聞) 29回連続出場の三波春夫は、こうコメントした。〈今年の紅白歌合戦はかなり模様替えすると聞いている。引き際が肝心と思い、後進に道を譲りたい〉(1987年11月25日・朝日新聞夕刊 ) 同年11月30日に出場者が発表されると、22回連続出場で紅組司会4度を誇る水前寺清子、計14回出場の千昌夫、計10回出場の研ナオコ、デビュー年から7年連続出場の田原俊彦、2年目から6年連続出場の河合奈保子という常連が選考から漏れた。代わりに、シャンソンの金子由香利、オペラの佐藤しのぶなどが初出場した。 しかし、1987年は55.2%とさらに視聴率が下落。島倉は『人生いろいろ』がミリオンセラーを記録した1988年に返り咲く(田原も同年選ばれるが、出場辞退)。三波、千は昭和が終わって平成が始まった1989年に復帰。研も1993年に7年ぶりに出場した。“1987年の改革失敗”があったためか、以降はベテランを同じ年に一気に切ることはしなかった。だが、2015年に初めて40%の大台を割ったことで、翌年に大御所の複数落選という劇薬を打ったと思われる。その2016年に40.2%と回復したため、彼らの復帰は遠のいた。2019年に37.3%と歴代最低を更新したが、2020年は以前と違ってベテランの返り咲きはなく、数字を戻した。“今”を中心に見せて40.3%を獲得した紅白の世代交代は、さらに加速するかもしれない。■文/岡野誠:ライター。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では1980年代、なぜ紅白の視聴率が下落していったかを徹底分析。1988年、田原俊彦が紅白を辞退した理由も詳細に綴っている。
2021.01.07 19:00
NEWSポストセブン
志村けんさん、登場するだけで「オチ」になる異質な存在だった
志村けんさん、登場するだけで「オチ」になる異質な存在だった
 新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した志村けん(享年70)の代表ネタの多くは、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』(TBS系)から生まれた。 1974年3月、荒井注が脱退し、代わってドリフの“ボーヤ”(付き人)だった当時24歳で最年少の志村がメンバーに昇格。それを機に、『全員集合』は新しい時代に入っていく。 もともとバンドだったドリフにあって、最初からコントを志していた志村はメンバーのなかでも異質な存在だった。当時ドリフの付き人をしていたコメディアンの松田ひろし氏が語る。「言葉だけでなく、動きや空気感でも笑いが取れる人でした。コントの登場シーンでいえば、いかりや(長介)さんがいて、高木(ブー)さんが遅れて出てきて、仲本(工事)さんが小狡いことをやって、加藤(茶)さんがボケるというのが従来の流れでしたが、最後に志村さんが登場するようになると、それだけで“オチ”になるほど面白いんです。こんな人はいなかった」 コントでのオチ役も徐々に志村が務めるようになっていったが、志村はいかりやに負けず劣らず、ストイックにお笑いの本質を求めた。松田氏は、台本を前に何時間もじっと考え込む志村の姿が印象に残っていると話す。「メンバーになったといってもやはり新人ですからね。最初は持ちネタも無いし、どうにかキャラ付けをしようと必死でした。東村山音頭もバカ殿様も、悩んで悩み抜いて生み出したネタです。自分はバンド出身ではないからと、楽器の練習も人一倍やっていた。天才ではなく、努力の人でした」 ゲスト歌手として『全員集合』に何度も出演した小林幸子もまた、志村のコントに対するストイックな姿勢に感銘を受けたという。「舞台の外では控えめで、何かと声をかけてくださる優しい方でしたが、いざリハーサルが始まると、一瞬で張り詰めた空気になるんです。一言一言にこだわり、命がけで演じている。根っこは役者さんなんです。志村さんは、『一流の芝居ができなければ、コントはできない』という思いが強かった。実際、シリアスな芝居も上手でしたから」 志村はかつて本誌・週刊ポストのインタビュー(2016年8月5日号)でこう語っている。〈頭の中、お笑いだけだから(中略)。アイデアが煮詰まった時、あまりにも胃が痛いから医者に行ったら、『胃潰瘍です。胃に穴が6つあります』だって〉〈職業病ですね。家で映画のDVDを観ていても、『これは!』と思ったら、一時停止ボタンを押したり、巻き戻してスローにして見直したりしちゃう〉◆「そっちに全員集合したら」 一時代を築いた『全員集合』は、1985年9月28日、16年の歴史に幕を閉じた。子供部屋の存在が当たり前になり、テレビが家族のものから個人のものに変化していくなかで、番組は“役割”を終えたのかもしれない。『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)で構成作家を担当した江戸川大学教授で演芸評論家の西条昇氏がいう。「『全員集合』は、一家が揃って大笑いできる最後の番組だったのだと思います。我が家なんか、家族揃って、それこそ全員集合して『全員集合』を夢中になって見ていましたから。あんな予算はかけられないし、もう豪快な作り手もいません」 4月1日、『志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう』(フジテレビ系)に出演した7歳年上の加藤は、弔辞をこう結んだ。「5人がそっちに全員集合したら、そっちのお客さんを大爆笑させようぜ。約束だぞ。じゃあ、それまでゆっくりと休んでくれ。大好きな志村へ」 ドリフの時代は終わらない。※週刊ポスト2020年4月17日号
2020.04.08 11:00
週刊ポスト
ドリフのコント 権力者、悪ガキの人間関係で絶妙のバランス
ドリフのコント 権力者、悪ガキの人間関係で絶妙のバランス
「東村山音頭」に「バカ殿様」、「アイ、マイ、ミー」、「カラスの勝手でしょ」──。新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した志村けん(享年70)の代表ネタの多くは、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』(TBS系)から生まれた。 1969年10月にスタートし、1973年4月には最高視聴率50.5%を記録。お茶間を笑いの渦に巻き込み続けた、まさに“お化け番組”だった。 いかりや長介(2004年死去)に怒られてばかりの高木ブー(87)、「なんだバカヤロー!」で一世を風靡した荒井注(2000年死去)、ヘラヘラと掴みどころがない仲本工事(78)そしてどこまでも陽気な加藤茶(77)。ドリフのメンバーは個性派揃いだった。『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)で構成作家を担当した江戸川大学教授で演芸評論家の西条昇氏は、『全員集合』の笑いの作り方についてこう話す。「いかりやさんはよく、『ドリフは人間関係でコントを作っていた』といっていました。“大人の権力者”としていかりやさんがいて、反対側に悪ガキの加藤さんがいる。残りの3人がいかりやさんについたり、加藤さんと一緒に悪さしたり。そのバランスが絶妙でした」『全員集合』をはじめ、数多くのドリフの番組で台本を手がけた放送作家の田村隆氏は、「番組初期のキーマンはこの加藤だった」と語る。「加藤さんは何歳になっても子供心を忘れない人だった。『ウンコチンチン』を普遍的な笑いに昇華させられたのも、彼の天性の愛嬌のなせる業。いかりやさんも、自分より加藤さんをどう活かすか、という点を念頭にコントを作っていた」 加藤の代表ネタである「ちょっとだけよ、あんたも好きね」も、こうしたいかりやのバックアップがあってこそ花開いたのだという。『全員集合』には毎回、当時の売れっ子アイドルや演歌歌手などが数組登場し、時には三船敏郎や若山富三郎、菅原文太といった大物俳優や有名スポーツ選手がゲスト出演することもあった。 ゲストとして『全員集合』に何度も出演した小林幸子が振り返る。「歌を歌ったりドリフの方々とコントをやったり。『聖歌隊』のコーナーでも何度も歌いました。エ~ンヤ~コ~ラヤットの振りはいまでも体で覚えています。『全員集合』は放送の数日前に台本の読み合わせがあって、いかりやさんが話しだすと、みんなピシッと静かになる。まるで学校の先生の話を真面目に聞いているような感じでした」 1974年3月、荒井が脱退し、代わってドリフの“ボーヤ”(付き人)だった志村がメンバーに昇格。それを機に、『全員集合』は新しい時代に入っていく。※週刊ポスト2020年4月17日号
2020.04.07 16:00
週刊ポスト
堀尾正明アナが語る紅白裏話、台本到着日程や宴会部長の名
堀尾正明アナが語る紅白裏話、台本到着日程や宴会部長の名
 空前のメダルラッシュとなったアテネ五輪や“冬ソナ”ブームに沸いた2004年。同年にNHK紅白歌合戦の総合司会を務めた元NHKアナウンサー堀尾正明氏が、知られざる紅白の舞台裏を語る。 * * * NHKのアナウンサーにとって、紅白の司会は入局と同時に胸に抱く目標。地方で経験を積んで東京へ出てきて知名度を築き、任されるまで15~16年はかかる夢の舞台なんです。第55回は紅組を小野文恵、白組を阿部渉の両アナが担当し、総合司会は出番が非常に多い予定だというので年長の僕が担当することになりました。歴代最もしゃべった総合司会だそうです。 最終台本が届くのは紅白の前日です。例年、大晦日の本番へ向け29日から3日にわけてリハーサルが行なわれますが、当時は29日に出演歌手が全員集まる「面接」があったんです。総合司会、紅組、白組、ラジオの司会者が4つのブースに分かれて皆さんと10分ずつ、その年の活動や意気込みを取材します。構成作家も同席していて、“〇〇さんはこんな年でした”など生の声が盛り込まれていきます。 30日に最終台本ができあがると自分の言葉で台詞を練り直します。アナウンサーにはカンペがなかったので、コーナーごとに自分が話すべきことや話したいことをメモにして持ち込みました。受信料不払い運動の渦中で言葉遣いにも随分気を配りましたね。準備に追われて紅白前日は眠った記憶がありません。 当日は朝からリハーサルに立ち合い、本番を迎えます。お弁当もありましたが、控え室にはアッコさん(和田アキ子)の特製おにぎりや北島三郎さんのおいなりさんといった差し入れがずらりと並んで人気でした。 2004年は、『マツケンサンバII』や五輪の公式ソングだったゆずの『栄光の架橋』で会場がひとつになった。韓流ドラマの全盛期で白組は冬ソナ主題歌、紅組は『美しき日々』の劇中歌を披露して、主演のイ・ビョンホンさんもゲスト出演しました。彼の出番は2分ほどでしたがプロ意識が高く、カメラ位置などリハーサルは1時間くらい入念にしていました。その後フリーになって民放で再会したら、「紅白ではありがとう。あの時の国民的な司会者でしょう?」と日本語で挨拶してくれました。 勝手知ったるNHKホールですが、当日はカメラが10台以上並んで、紅白特有の異様な空気に包まれる。言い間違いがあってはならないと緊張しましたし、「毎回1秒2秒遅れたら積もり積もって歌手ひとりぶんの時間になるんだから」ときつ~く釘を刺されました。ただ、僕はお客さんの反応がいいほど燃えるタイプ。裏では「堀尾を黙らせて~!」なんて始終、怒号が飛び交っていました(苦笑)。 一瞬たりとも気を抜けない本番ですが、いちばん大事だと言われたのがエンディング。『蛍の光』の大合唱が終わってピューンと金のテープが発射されるまでは緊張感を保てよ、と。11時45分に放送が終わった瞬間に舞台の撤収が始まり、その後は出演者もスタッフも食堂へ移動して300人近くで盛大に打ち上げをします。 年越しそばを食べたりお酒を飲んだりしながら、“宴会部長”の細川たかしさんがマイクを回すんです。新潟県中越地震でさっちゃん(小林幸子)が豪華な衣装を封印した年だったので、「今年は新潟の皆さんを想って地味にさせていただきました」とスピーチされたのを覚えています。賑やかな宴は朝4時頃まで続きました。 今日こうして久々に台本を手にしましたが、厚みは3センチ近くあるし重さが異常(笑い)。自分にとってはやはり特別で、紅白の台本だけは捨てられません。●ほりお・まさあき/1955年生まれ、埼玉県出身。1981年にNHKへ入局後、1993年から東京アナウンス室勤務となる。『NHKニュース10』『サタデースポーツ』『サンデースポーツ』などを担当。アテネ、トリノ五輪メインキャスターや第55回紅白歌合戦総合司会も務める。2008年にNHKを退職しフリーに。現在は『誰だって波瀾爆笑』(日本テレビ)、『キャッチ!』(中京テレビ)など多方面で活躍中。※週刊ポスト2019年12月20・27日号
2019.12.22 07:00
週刊ポスト
2008年の紅白初出場歌手たち(共同通信社)
小林幸子の紅白歌合戦「豪華衣装」は今どこにある?
 NHK紅白歌合戦の常連歌手として34回出場の記録を持つ小林幸子。視聴者の度肝を抜くド派手な衣装は紅白名物となり、美川憲一との衣装対決やメガシリーズなど数々の“伝説”が生まれた。 そのきっかけは何だったのか。小林が振り返る。「1年を締めくくる大きなお祭りとして楽しんでいただけたらと、おまけの精神で衣装を派手にしたのが始まりです。小林幸子ならではのオリジナリティを大切にしつつ、スーパー歌舞伎やラスベガスのショーなどの世界観や技術を参考にしました」 製作期間は4か月。メカニックや特殊加工、ヘッドドレスなど、時には100人態勢で製作に臨み、NASA開発の特殊リフトで高さ8メートルまで上昇する「火の鳥」(第57回)や総重量3トン、高さ8.5メートルでNHKホールの天井の限界に挑んだ壮大な「メガ幸子」(第60回)など、記憶に残る名作は数知れない。「『メガ幸子』はこれまでにはなかった“笑い”が生まれて、歴代で一番インパクトがあったと自負しています。高さ12メートルのフライングを採り入れた『冬の鳥』(第42回)では宙に浮いたまま両腕の羽も羽ばたかせたため発声する際にお腹に力が入らず、紅白に向けてスポーツジムで腹筋を鍛えました。高い所は大好きなので、本番のステージはとっても気持ちよかったですよ(笑い)」◆カルーセル麻紀にレンタル!? その緻密さと豪華さから製作費は億単位と噂されている。「『メガ幸子』をベースに可動式ウイングにLEDパネルを装備して、独自の映像をハイテク技術で導入した『NEO幸子』(第66回)が最もゴージャス。歴代の衣装の最高額規模になりました。金額は内緒です」 気になるのは衣装の「その後」である。「紅白の衣装は国内外での公演でも着ています。『メガ幸子』は台湾で人気の『マーズー』という女神様に似ているそうで、現地ではコンサートに行くと拝まれました。大トリを務めさせていただいた第55回ではその年に行なわれたアテネ五輪をモチーフにした衣装を用意していましたが、秋に故郷の新潟で地震があったため見送りに。年明けのNHK歌謡コンサートで、幻となった衣装を解禁しました」 1999年には、第44回でお披露目した「ペガサス」を友人のカルーセル麻紀に特別レンタル。「2016年には、『キリン 氷結』のCMで共演した元AKB48の高橋みなみちゃんが『火の鳥』の巨大衣装を着ています」 出番を終えた衣装は現在、解体されて倉庫に眠っている。「すべての衣装ではありませんが、千葉と平和島の倉庫に保管してあります。皆さんの笑顔を原動力に毎年続けてきた紅白の衣装が、いつしか私の代名詞となって大きく世界が広がる幸せなきっかけとなりました。電球がつかないなど時にはトラブルもありましたが、チーム幸子が一丸となって全力で作った衣装に悔いはありません。私にとってかけがえのない宝物です」※週刊ポスト2019年12月20・27日号
2019.12.15 07:00
週刊ポスト
小林幸子はどこへ向かおうとしているのか
小林幸子はどこに向かうのか? 自ら引退を決意する時を語る
 10歳でデビューして以来、浮き沈みの激しい芸能界で55年もの間、第一線で活躍し続ける小林幸子(65)。この間、引退が頭をよぎったこともあったが、不死鳥のごとく蘇り、そればかりか、新たな道を切り拓いてきた。小林幸子の短期集中連載の最終回では、自ら「引退」を決意する時について、初めて語る。 * * *「ああしたい」「こうなりたい」って思っても、そう簡単にはいかないのが世の常。55年も芸能生活を続けてきたことを「すごい」と褒めてくれる人がいるかもしれませんが、10歳でデビューした時には、こんなふうになるとは夢にも思っていませんでした。 詳しくは拙著『ラスボスの伝言~小林幸子の「幸」を招く20のルール』の中で触れましたが、私が何年やってきたとか、いろんな賞をいただいたとか、「ラスボス」と呼ばれるようになったとか、それはあくまで結果であって、すでに過去のこと。 また、いろんな方に今までの私の活動や功績を評価していただいていますが、それも過去の栄光のようなものです。もし、これから先のことが紙に書いてあって、その通りになったとしたら……。日々、何の刺激もない毎日になってしまいますよね? それよりは、「これから先のことは、まったくの白紙」と思って、「いったい何が起こるのかな」とワクワクしながら過ごしたほうが、人生は楽しめると思うんです。「幸子さんは将来、どこに向かっていくんですか?」。いろんなことをやっているせいか、最近、こんなふうに尋ねられることが増えました。私にもわかりません。 こっちへ行こう、あっちに行ってみよう、と決めているわけではありません。出会った人によって、道は変わるもの。出会いの数だけ可能性が広がっているとしたら、ますます人生って面白そうじゃありません? これは以前、作家の家田荘子さんに教えていただいたんですけど、「この人には、いいところがたくさんあるから一緒にいよう」と考えるのは、その後、うまくいかないことが多いんですって。 逆に、白紙の状態からスタートすれば、「いいところ」を見つけるたびに、「なんていい人なの!」とプラス評価が増えていきます。目の前の事実は変わっていませんが、見方ひとつで、人は幸せにも不幸にも生きられるものなんです。「理想の未来図」をしっかりと描き込んでしまうと、そうならなかった時に、その出来事がすべてマイナスになってしまいます。「幸せ」が目の前にあっても、「自分の理想と違う」と避けてしまう人も多いんじゃないかしら?「上を見ない」ということではありません。「自分に都合のいい未来」を期待しない、ということです。理想で自分を縛ってしまうよりは、未来を白紙にすることで、ずっと自由でありたい。 とはいえ、私自身、「人生の理想」は描いていませんが、「人生の目標」はきちんと持ち続けています。それは「健康で歌を歌い続ける」ということ。簡単なように思われるかもしれませんが、これって実はすごい大それた目標だと思っています。 ちなみにデビュー以来55年間、病気で休んだことがないことが、私の密かな誇りです。いくら健康に注意していても、突然病気になることだってある。突然、声が出なくなった歌手を、私は何人も見てきました。 もし私の声が出なくなったら? その時は、歌手を引退する時です。未来は「白紙」だから、その時が来ても、そのことを「不幸」とは思わないでしょう。そんなことを考えるよりは、いつ終わりが来てもいいように、これからも私は、その日、その日を、一生懸命に生きていきたいと思います。※小林幸子・著『ラスボスの伝言~小林幸子の「幸」を招く20のルール』より抜粋
2019.07.02 07:00
NEWSポストセブン
小林幸子を「どん底」から救ってくれた北島三郎の言葉
小林幸子を「どん底」から救ってくれた北島三郎の言葉
 事務所の「お家騒動」によってマスコミから大バッシングされ、一時はテレビ出演どころか新曲も出せない窮地に陥った小林幸子(65)。そんな「どん底」から復活した小林の胸に響いたのは、サブちゃんこと北島三郎の言葉だった。小林幸子の短期集通連載の第4回は、苦境を脱して初めて気付いたことについて、総括する。 * * * 振り返ってみると、人生、本当にいい時ばかりじゃありませんよね。でも、辛いことのほうが多かったかと聞かれれば、絶対にそうではありません。 もちろん、泣きたいこともありました。でもそんな中にも、楽しいことは必ずあるものなんです。逆に言えば、周りから幸せそうに見えていたって、当の本人には辛いことだってある。皆さんもそうじゃないでしょうか。 10年近く前の事務所トラブルの時も、「辛くなかった」と言えば、正直、嘘になります。スタッフの退社をめぐり、一時、マスコミから激しいバッシングを受けるなど、ちょっとした騒動になりました。 マスコミの風当たりは強く、所属していたレコード会社からの新曲リリースも保留となりました。「CDを出せない」というのは、歌手にとって死亡宣告を受けたようなものですから、その時は絶望のどん底。にっちもさっちもいかなくなりました。 それでも、さだ兄(さだまさし)に新曲を作ってもらったり、インディーズレーベルを立ち上げたりと、何とかこの窮地を脱することができました。◆人生の寄り道や道草は決して無駄じゃない 2011年の出場を最後に、紅白からも遠ざかっていたのですが、2015年に『千本桜』で特別出演を果たします。4年振りのことでした。 その時、オヤジさんから(北島三郎さんのことをこう呼ばせてもらっているのですが)こう言われたんです。「なあ、幸子。いろんなことがあったけど、この3年間は道草してたと思え。道草ってなあ、楽しいぞ」 本当にそうだよなァ。オヤジさんの言葉は、胸に染みました。『おもいで酒』が200万枚を超えるヒットになって以降、私は舗装された高速道路を無自覚に走ってきました。そしてここから見える風景だけがすべてだと思っていました。 でも、突然、高速道路から降りることを余儀なくされてしまい、私は未舗装のデコボコ道を進まざるを得なくなりました。ハンドルを握るのも大変。寄り道に回り道、時間もかかります。 ところが、ふと冷静になって周囲の風景を眺めてみると、これが素敵なんです。えっ、こんな美しい場所があったの? と、この年になって知った。 高速道路を降りなければ気づかなかったことです。たしかにお膳立てされた高速道路は走りやすいし、時間もかからないけれど、目に入る景色はいつも一緒。安定しているけれど、驚きはありません。 下の道は、デコボコだけれど、驚きの連続でした。そして何より、「自分で切り拓いていく」という面白さがありました。しかも、この寄り道のおかげで、私はたくさんの人に出会えたし、たくさんの経験ができた。オヤジさんはわかっていた。人生の寄り道や道草が、決して無駄じゃないことを。「ひとつ、いつもと違う角を曲がればそれはもう旅の始まり」。これは尊敬する永六輔さんの言葉。ようやく、この言葉の意味を実感しています。 高速道路を走っていれば、角はありません。高速を降りたことで、私は初めて角を見つけた。角を自由に曲がる面白さを発見した。で、曲がってみる。寄り道です。でもここから新しい旅が始まる。これってワクワクしません?※小林幸子・著『ラスボスの伝言~小林幸子の「幸」を招く20のルール』より抜粋
2019.06.29 16:00
NEWSポストセブン
小林幸子が守り続ける「美空ひばりのたった一つの教え」
小林幸子が守り続ける「美空ひばりのたった一つの教え」
 9歳の時、テレビのオーディション番組で美空ひばりさんのモノマネをして優勝したことをきっかけに、歌手デビューを果たした小林幸子(65)。美空ひばりさんは芸事に対する厳しい姿勢でも有名だったが、小林のモノマネを高く評価したという。小林幸子がデビュー55周年の軌跡を振り返る短期集中連載の第3回では、美空ひばりさんが「一度だけ教えてくれたこと」を紹介する。 * * *「創造とは記憶である」。これは「世界のクロサワ」こと、映画監督の黒澤明さんの言葉です。黒澤監督が言うには、何もないところからものは創り出せない、ということらしいのです。 生まれてから今まで、経験したことや本を読んで記憶に残ったことが、知らず知らずに蓄積されていって、それがふとしたきっかけで呼び覚まされて、創造されていく……。黒澤監督の言葉は、すべての事柄に当てはまると、私は考えています。 芸事の世界の言葉で言い換えるなら、「プロの技は見て学べ」。最初からオリジナルの歌い方ができる歌手なんて、存在しません。皆、少なからず誰かのマネをして、それを自分の中に取り込んで血肉にしていくのだと思います。 私自身、デビューのきっかけは「モノマネ」です。TBSのオーディション番組『歌まね読本』に、かつて歌手になりたかった父が、勝手に応募していました。 9歳の時のことです。番組のタイトル通り、歌マネを競う番組で、歌ったのは、美空ひばりさんの歌。この番組のグランドチャンピオン大会で優勝したことで、私は歌手デビューを果たします。 当のひばりさんからは「お幸」とかわいがられ、「お幸のモノマネがいちばんいい」と褒めていただきました。でも実際は、ひばりさんの「ここの節回しを盗もう」と思ってマネしてみるのですが、絶対にひばりさんと同じにはなりません。 それでもマネするしかない。なぜなら、誰も教えてくれないからです。自分で学ぶしかない。ひばりさんに限らず、いろんな歌手の方の「いいな」と思うところを必死にマネして、自分の中にため込んでいく。 それを自分なりに咀嚼して、自分の口から歌声として発した時、それがオリジナルになるのです。 ひばりさんは背中で語っていました。「お幸、芸は自分で見て覚えるんだよ」 そんなひばりさんでしたが、一度だけ、私に直接アドバイスしてくれたことがあります。私がテレビのバラエティ番組で、三度笠、股旅姿で時代劇のコントを演じていた当時のこと。ある時、ひばりさんに偶然お目にかかり、こう言われたんです。「お幸、こないだの番組、透明なマニキュアをしてたでしょう?」 驚きました。私自身、マニキュアをしていたか、定かではありませんでした。 VTRで確認してみると、ほんの一瞬、ツメが映っていて、それをひばりさんは見逃さず、指摘してくれたのです。「たとえバラエティであっても、時代劇は時代劇。どんなことがあっても、マニキュアはしちゃいけないよ」 細かいところにも十分に気を配る。そうひばりさんは教えてくれました。ひばりさんは今でも私のお手本です。行き詰まったらひばりさんをマネしてみる。学ぶことはまだまだ、数え切れないほどあります。※小林幸子著『ラスボスの伝言~小林幸子の「幸」を招く20のルール』より抜粋
2019.06.26 07:00
NEWSポストセブン
小林幸子はどこへ向かおうとしているのか
ラスボス・小林幸子が「豪華すぎる衣装」を着続ける理由
 デビュー55周年を迎えた小林幸子(65)の代名詞と言えば、豪華すぎる衣装。NHK紅白歌合戦における美川憲一との「豪華衣装バトル」は、大晦日の風物詩とも謳われ、ネット上では「ラスボス」とも称されるが、高額な衣装代はすべて自腹だという。小林幸子の短期集中連載の第2回では、なぜ豪華衣装に身を包み続けるのか、その舞台裏を明かす。 * * *「隣の芝生は青い」とはよくいったもので、他の人のことは何かと気になるものです。自分がうまくいっている時はいいのですが、そうでない時は余計に気になります。特に歌手は、CDの売り上げやチャートで常に比べられますから、気にするなといっても気になってしまう。私もそうでした。 でも、いつからだろう? 他人のことがあまり気にならなくなったのは。きっと、目の前のことにがむしゃらになってからかな。目の前のことに集中していると、他人と比べる暇なんてなくなってくるんです。 たとえば、私にとっては、かつての紅白の衣装がそうでした。最初にド派手な衣装を身につけたのは、1981年、『迷い鳥』を歌った時。それまで、私だって普通のドレスだったんですよ。『迷い鳥』の時は「鳥」をイメージして、手を広げると、鳥が大きな翼を広げたように見える衣装を作りました。私が言うのもなんですが、広げた時のスパンコールがとてもきれいで、観客の皆さんのため息がたしかに聞こえてきました。審査員の方々もニコッと笑顔になった。「あ、これだ」と思ったんです。 この感覚に、それ以来、ヤミツキになってしまいました(笑)。 もちろん、「やりすぎじゃないか」との批判もありました。でも紅白はお祭り。お祭りだったら楽しませてなんぼ、目立ってなんぼ。ありがたいことに視聴者やファンの方々からの評判は上々で、舞台裏は大変でしたけど、続けていくモチベーションになりました。 こうなってくると、「他人と比較する」という意識はもうありません。ライバルは、前の年の自分。前年の自分の衣裳をどう超えるか。プロジェクトチームを立ち上げ、デザイナーやスタッフと共に、ああでもない、こうでもないと知恵を絞りました。◆過去の自分をライバルにする 人には許容量があります。分相応という言葉もあります。その範囲内で行動していれば、失敗も少ないのかもしれませんが、それだと毎日が同じことの繰り返しになってしまいます。それは効率的ではありますが、日々のワクワク感は減っていきます。 たとえば自分のことを「不器用」だと思っていたとしましょう。もちろん不器用でいいんですよ。でも「私は不器用だ」と思い込むことで、自分の行動力を制限したり、セーブしてしまったりしているとしたらどうでしょう? 人には自分でも気づかない力──潜在能力があります。もしかしたら、「自分は不器用」と思い込んで殻に閉じこもることで、持っている能力を発揮できず、人生の楽しさを損しているかもしれません。 それよりも自分は「あんなことができるかもしれない」「こんな一面があるかもしれない」と、日々いろいろなことに挑戦していくと、いつの間にか「自分の範囲」(許容量)が広がっていることに気づきます。 紅白でとんでもなく大がかりな衣裳を身につけたことも同じ。一度その殻を破ったら、それもアリになりました。 東京ビッグサイトで開催される世界最大の同人誌即売会「コミケ」(コミックマーケット)に参加したり、ニコニコ動画に投稿したりすることも、殻に閉じこもっていたら、できませんでした。「過去の自分」がやってこなかったことにチャレンジするたびに、自分の可能性が広がっていくことが肌身でわかります。楽しいですよ、過去の自分をライバルにすると。「さあて、次は何をしてやろうかな」。こう毎日ウキウキしている自分がいます。※小林幸子・著『ラスボスの伝言~小林幸子の「幸」を招く20のルール』より抜粋
2019.06.23 16:00
NEWSポストセブン
小林幸子が語る「私を『ラスボス』に変えた夫の一言」
小林幸子が語る「私を『ラスボス』に変えた夫の一言」
 演歌界の「大御所」としてNHK紅白歌合戦などで活躍しながらも、いち早くネットの世界に飛び込み、新たなファン層の開拓に成功した希有な存在──。今年、芸能生活55周年を迎えた小林幸子(65)が、さまざまな出来事の舞台裏を短期集中連載で語る。第1回は「ラスボス」の誕生秘話。熟年結婚した夫の思いも寄らぬひと言とは? * * * 最近は皆さんから、「ラスボス」なんて呼ばれるようになって、ちょっと戸惑っています。でも、私から「呼んでください」って、お願いしたわけじゃないですよ(笑)。 元々、「ラスボス」という言葉も知りませんでした。ニコニコ動画の生放送に出演した時に「ラスボスって呼んでいいか」という問いかけがあったので、「いいよ!」と二つ返事でOKしたのがきっかけです。 あとで聞いてみたら、ゲームに登場する最後(ラスト)のボスのことだっていうじゃないですか。紅白の衣装が「ラスボスっぽい」ということで、ネット界隈で密かに「ラスボス」と呼ばれていたようなんです。 それが、「ニコ生」出演で決定的になってしまった。最近はコンサートでも、これまでの年配のファンの方々から、「ラスボス~!」って声がかかります。 ラスボスの呼び名は失礼じゃないかって? 皆さんが面白がってくれているなら、それはむしろ嬉しいことです。 とはいえ、ニコニコ動画からの出演依頼を、当初、躊躇していたのも事実です。それまで歩んできた歌手人生から、最も遠いところにありました。そもそも私が、インターネットというものをわかっていない。最初の一歩を踏み出せないでいました。 そんな時、夫が口にしたのが、この言葉でした。「思い込みを捨て、思いつきを拾う」「あっ!」と胸に手を当てました。私はもしかしたら、「『小林幸子』とはこう振る舞わなくちゃいけない」と思い込んでいたんじゃないかって。 自分で勝手に“囲い”を作って、その中に自分を閉じ込めていたんじゃないか。「思い込み」という囲いを取っ払ったら、もしかしたら見たこともない新しい世界が広がっているのかもしれない。 この「思いつき」は、私をワクワクさせてくれるものでした。◆「ネット動画」という思いつきを拾った 夫の林明男とは、2011年11月に結婚しました。相手は8歳年下で、当時の私は57歳。私自身、結婚するつもりはありませんでしたが、いつの間にかという感じです。 林は、再生医療に関する事業を手がけています。最初の頃は「再生医療なんて信用できない」と口にする人も多く、ずいぶん苦労したようです。 2017 年11月、iPS細胞から尿を排出する機能を持つ腎臓を再生させることに東京慈恵医大の横尾隆教授らのグループが成功した、というニュースが流れましたが、林はこの研究に当初から協力していました。 林に言わせると、再生医療は「従来の医療の常識」との闘いなんだそうです。新しいことを生み出すには、これまで考えられてきた「思い込み」を捨てて、「思いつき」に賭けてみるしかない。 そうした試行錯誤の末、何かが生まれると言います。「思い込みを捨て、思いつきを拾え」は、林たちのチームの合い言葉のようになっているそうです。 私も、思い込みを捨てて、「ネット動画」という思いつきを拾ってみました。するとどうでしょう……。目の前に面白い世界が広がっていたんです。 今でもネットの世界のことは詳しくありません。でも、それでいいのかな……。だって、自分の知らないことがたくさんあるってことを、卑下してもしょうがないですから。※小林幸子・著『ラスボスの伝言~小林幸子の「幸」を招く20のルール』より抜粋
2019.06.21 16:00
NEWSポストセブン

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