瀬尾まいこ氏が新作について語る(撮影/朝岡吾郎)
〈子どもができたら、親の恩が痛いほどわかる〉〈私もそういうものだと疑いなく信じていた〉〈親になったとたん、さっぱりわからなくなった〉〈この日々のどこに恩を感じさせるべきところがあるのだろう〉──。
この冒頭早々に示される主人公〈飯塚美空〉の疑問から、瀬尾まいこ著『ありか』は生まれたという。
「私も娘が生まれるまではそう思っていたんですけど、『いやいや、全然わからへんな』と思って。特に娘といつもくっついていられた幼稚園の頃はこの子に将来何かしてほしいなんて気持ちには全くならなかったし、娘が笑ってくれさえすればそれだけで十分でした」(瀬尾氏、以下「」内同)
良くも悪くも軽薄で大らかな夫〈奏多〉と離婚し、化粧品工場のパートとして5歳の娘〈ひかり〉を育てる美空は26歳。〈これ以上に私を満たしてくれるものも、これ以上に私を動かしてくれるものもない。ひかりがいない人生なんて考えられない〉と思う一方、その娘のために満足な朝食も用意できない自分に呆れ、いつも謝ってばかりいる彼女の母親や義理の弟〈颯斗〉、何よりひかりとの生活を、瀬尾氏は一つ一つが愛おしく、抱きしめたくなるようなエピソードをふんだんに鏤めて描くのである。
「私はただ日常を描いているだけ」と瀬尾氏は言う。
「もちろん事件や犯罪者が出てくる小説も読むことは読むんですけど、そういう人がなかなか周りにいなくて。一度だけ『魅惑の極悪人ファイル』という短編を書いた時も全然極悪な話にならなくて、いないものは書けないんだなって(笑)。特に子育て中はいろんな人にしょっちゅう助けられたり助け合ったり、今でも世の中、イイ人が多いなと思うことが多いので、それをそのまま書いています」
〈こんなに私を不安にするものも穏やかにしてくれるものも他にはない〉と美空が言うように、娘を愛しく思えば思うほど不安になり、自信を失う度にその柔らかな頬や〈太陽と春の匂い〉に励まされる母娘の日々を、本書では春から冬の終わりまで、全6章仕立てで追う。
浮気性な奏多と離婚して半年後、颯斗はここぞとばかりに2人の前に現われ、〈せっかくつながった人と関係が閉ざされるってなくない?〉と言って毎週水曜には夕食用の総菜類を買い込み、保育園のお迎えにも行ってくれるようになった。
また何事も1人で抱えがちな彼女にパート先の同僚〈宮崎さん〉は、〈誰でもこれぐらいのことするから〉、〈ありがとうと言っておけばいいの〉と言って果物やおかずを差し入れてくれ、ずっと怖くて敬遠していたそら君のママこと〈三池さん〉も、いざ話してみると細やかな気遣いの人だった。