「私が教員採用試験に落ちまくっていた頃に、バイト先にいたんです。こういうモノをくれて、しかも気を遣わせないオバチャンが。
三池さんも娘の幼稚園に派手な感じなのに実は人見知りなママが実際にいて、『サングラスの中ではめっちゃキョドってんねん』と話していたのも本当の話。しかもこっちが遠慮する前に動いてくれる〈段取り命〉な人で、つくづく人を見た目で判断するともったいないなあって、今は思います」
そんな慎ましくも恵まれた日々の中、悩ましいのが母親の存在だ。美空が幼い頃に父と離婚し、借金まで返したという51歳の母親は、いつも自分の都合でやってきては不満や愚痴を聞かせ、少しでも反論しようものなら、〈へえ。驚いた。美空、一人で大きくなったみたいな気でいるんだね〉と言われた。颯斗は〈つまりそいつは、くそくそばばあだな〉などと言うが、それでも母に愛されたいという思いも捨てきれずにいる美空が、これは初めて怒りを知り、〈今〉と向き合う物語でもあるのだ。
1がなくなると全部がなくなる
ひかりに愛情を注ぐほど、幼い頃の満たされなかった思いまで思い出してしまう美空が切ないが、瀬尾氏は発売前に作成された見本冊子にこう寄せる。〈私の中にも、消したい記憶や叶わなかった願いがいくつもあります。でも、この人生を生きてこなければ、出会えなかった人々、感じることができなかった思いが、今の私を作ってくれました〉と。
「美空も奏多がいたからひかりや颯斗と出会えたわけで、1がなくなると2も3も全部なくなるし、親戚が増えるのって純粋に嬉しいなって最近よく思うんです。昔はあんなに親戚付き合いが苦手だったのに(笑)。
たぶん私の場合は教師になって初めて青春を知ったことと、娘を産んだことが大きかったと思う。うちの娘は今年小6なんですけど、私とも夫とも似てなくて、誰とでもすぐ仲良くなれる娘といるうちに、私の方が娘に似てきたんですね。今は人が凄く好きだし、オバチャンだからお節介も平気でできるようになって、なんか、探してるものとか欲しいものって全部ここにあるよなあって。もちろんフィクションですが、そういう自分が娘と経験したことや出会った人のことを思い出しながら書いた、私的にも特別な作品になりました」
例えば近所の実家を出て同性の恋人と暮らす颯斗が姪に注ぐ愛情を、〈足りないものを埋めるためや代替ではなく、ただまっすぐにひかりに向けられている〉と美空が感じるように、人々が特に理由を必要とせずに思い合い、支え合う光景を、瀬尾作品は多々描いてきた。
その公平な視線は母親だから、親子だからといった呪縛からも私達を解放し、確かに〈私のすべてはここにある〉と気づくことさえできれば、幸せの青い鳥は今すぐにでも見つかるはずだ。
【プロフィール】
瀬尾まいこ(せお・まいこ)/1974年大阪府生まれ。奈良県在住。大谷女子大学文学部卒。中学の臨時教員をしていた2001年に『卵の緒』で第7回坊っちゃん文学賞大賞を受賞。2004年に京都府の教員採用試験に合格し、2011年まで兼業を続ける。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞、2009年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞、2013年咲くやこの花賞、2019年『そして、バトンは渡された』で本屋大賞を受賞。昨年は『夜明けのすべて』が映画化され、内外で高い評価を受けた。159.5cm、O型。
構成/橋本紀子
※週刊ポスト2025年5月9・16日号