楳図かずお先生に言われた三文字の言葉で、芸能界を辞めずに前を向けた
言霊の力を最初に実感したのは、18歳の頃だという。
「オーディションに全て落ちて芸能界を辞めようと思っていたときに、ロケでご一緒させていただいた漫画家の楳図かずお先生が、別れ際に『お疲れ様』ではなく、『またね』と言ってくださったんです。そのときに、『あ、私はこの世界でまた先生に会えるんだ』と前を向けたのです。あの“またね”の三文字がなかったら、ここにいなかったかもしれません」
順風満帆ではなかったという日々についても明かし、悩みを抱えている人達へのサポートとなる活動も行う。
彼女のキャリアは順風満帆のように見えるが、仕事が順調なときはプライベートで悲しいことがあったり、20〜30代はアップダウンの連続だったという。
「20代前半、松本隆先生作詞・筒美京平先生作曲の『綺麗ア・ラ・モード』という曲をレコーディングでうまく歌えず格闘していたんです。すると、両先生から『もう少し、大人になったらうまく歌えるよ』と励ましていただいたことがありました。
それから15年後、松本隆先生の作詞活動50周年記念コンサートでこの曲を歌ったところ、松本先生に『すごくよかったよ』とお言葉をいただけたんです。実は、そのコンサートの直前にものすごく落ち込むことがあって、なんとか舞台に立っていたのですが、その時に経験した思いを乗せて歌ったらそれを先生が聴いてくださった。こういう奇跡もあるんだと感謝しました」
不登校で苦しんだ私が“校長先生”と名乗る日が来るなんて
今年3月には、不登校だった人々の「卒業式」を行う、3日間だけのフリースクール『空色スクール』での取り組みを行った。文部科学省の最新の調査では、不登校の小中学生は約34万人(2023年度)と過去最高の人数になっている。
「私は、不登校になり卒業式に出なかった経験をしています。このことが大人になっても、ずっと心に引っかかっていました。“卒業式”が単なる儀式ではなく、次に進む大切な節目だからでしょう」
学校に戻ることはできなくても「卒業式」を行うことで、過去をアップデートすることはできる。不登校に悩み、苦しんだ人の人生に大きな意味があると確信したという。
「一般募集して全国から380人の応募があり、12歳〜60歳の29人の方々がフリースクールの生徒さんとして参加されました。みなさん、つらいことや悲しいことを乗り越えて、勇気を出して参加してくださったことがわかりました。スクーリングは、オンラインで行ったのですが、回を重ねるうちに、前を向いて進んでいく気持ちが伝わってきて。まさに“空の色”のように、それぞれの人生と幸せがあると感じたのです」
中学校の教室で描いた絵を「キモい」と破られた経験がある、と打ち明けた“生徒”がいた。中川さんは「話してくれてありがとう」と返したが、翌日どのように声をかければいいのか、慎重に言葉を考えていたという。
「でも、そんな心配など必要ないくらい、その生徒さんはものすごいスピードで、鉛筆画と油彩を仕上げていたんです。私は、その方が羽化する瞬間に立ち会えた喜びでいっぱいになりました。悲しい経験や苦しいことで蓄えたことはエネルギーになります。それを使って起爆する。いろんなものを自分の力でバーストする瞬間があるんです。それには、誰かが寄り添い、応援するという力が必要。これは、今後もライフワークとして続けていきます」
スクーリングを終え対面の卒業式を行い、そこで“校長先生”として、29人に卒業証書を渡した。
「不登校で苦しんだ私が“校長先生”と名乗る日が来るとは思いませんでした。『今まで乗り越え、生きててくれてありがとう』という気持ちで、みなさんに卒業証書をお渡ししました。今回の経験は私自身の勇気にもつながっていったんです」