「創業は明治40年。その頃に立ち飲みをやってたかは、さすがにもう誰もわからしまへん」と穏やかに話すのは”シンさん”と親しまれている4代目店主の桝田愼一さん(64歳)。
その横で、「ここは大阪は難波の一丁目一番地。お隣はなんばグランド花月や。昔は芸人さんも来よったという話やけど、今はサラリーマンの聖地や」と60代の常連が言う。今宵も元ガレージを改造した空間に20人ほどが詰め合って飲んでいる。
笑いの聖地に118年続く角打ちは今宵も明るい常連客で賑わう
すぐ裏は道具屋筋と呼ばれる商店街で、たこ焼きやお好み焼きの道具を売る店がずらりと並ぶ。「私のひいおじいさんが奈良の吉野から出てきて、ピンと来たのか『ここで商売や!』とこの場所を押さえたと聞いてます」と話す店主は、学生時代から店を手伝い、コップの縁ぎりぎり、表面張力の限界まで注ぐ名人だった。「今は手が震えてしまってアカンけどな」とニコリ。
右から四代目店主の愼一さん・信代さん夫妻と息子の裕太さん
最近、海外からの観光ツアーのプログラムに「大阪立ち飲み」が組み込まれているそう。雑多で活気あるこの店の雰囲気をすっかり気に入った馴染みのニュージーランド人ツアーコンダクター(50歳)が、大阪観光の外国人客を案内して来るようになった。
「そしたらね、『秋田名物いぶりがっこはありませんか』とかお客さんが言うねん。はっはっは、向こうさんもだいぶ詳しいんや。こりゃやられたわ」と店主は笑う。「皆さん、楽しそうに飲んでいきますわ。そこは国が違うても関係ないな」
大阪・関西万博の開催も追い風となっているのか、「日本らしさ」を体験したい客が、関西の「立ち飲み文化」に惹かれるようだ。
とはいえ、常連客たちはどっしり構えたもの。どこの誰が出入りしようが気にせず、マイペースを崩さずに楽しむ。思い思いの時間に来て、思い思いにこの日の一杯を大事に飲んでいる。
常連客の中には店主(左)の同級生も
「気づきはりました? みんなネクタイしてまへんやろ。入店と同時にスルリと爽やかに外しますねん。ここで切り替わるんやろなあ。難波はターミナル駅やさかい、仕事が終わって家に帰る乗り換えのときに、ワンバウンドする習慣の人が多いでっせ」と教えてくれたのは「Mr.サースデイ」と呼ばれる50代紳士。木曜日に来るからそう呼ばれるようになったという。「Mr.チューズデイさんもおりまっせ」
そう、この店の常連には、誰がそう呼び始めたか、ニックネームがつけられている人が多い。「エアコン室外機さん」「ザビエルさん」「笑瓶ちゃん」「画伯」「Mr.エブリデイ」…とどれもユーモアたっぷり。本名は分からなくとも、和気藹々と呼び合えるのが飲み仲間というもの。
Mr.エブリデイ曰く、「僕が今日一日で声を出したのはこの店だけや。家でも会社でも、じーっと黙ってますねん。声門が塞がってもうたんちゃうか思うて心配でここに来たら、ああ、声が出た、よかった~!と思いますねん」「あんたなぁ、そういうのを、憩いの場と言うんやで」とMr.サースデイがすぐに返して、ふたりはチンと乾杯した。
大阪らしいテンポの良い会話が飛び交う
隣の台では、ここだけで会う飲み友と言う勤労青年(33歳)と老画伯(73歳)のコンビが飲んでいる。歳の差40。「難波のガヤガヤ感の中で、しょうもない話をしながら飲む。これがええんや」と青年が言えば、画伯も「そう、しょうもない話がいちばんおもろい。それとワシは5代目が成長するのを見ながら飲む酒がうまい」と店主息子の裕太さん(32歳)の働きぶりを温かく見守る。
いちばんよく来ているという60代の常連はこう言った。「ここのいちばんええとこはな、夜が早仕舞いやねん。チャッと飲んでサッと終わる。名残惜しい感じがするねん。それが案外と沁みてな、ええもんやで。そやから、会社を退職した人は、来る時間がびっくりするほど早くなるで」。そしてゆっくりとコップを傾けた。
「ほんまいろんな人がおるわ。そこが立ち飲みをやってて面白いとこ」と裕太さんが言う横で、120年近くにもわたって、この場所で店が続く秘訣を店主に聞けば「皆が機嫌ようのんでくれたら、それでよろしいわ」と鷹揚に微笑んだ。
どこからか「乾杯しようか」の声がして、「おお!」と皆が揃って焼酎ハイボールを掲げる。「キリッとドライでうまいんや。まだまだ飲むで~!!」
味がしみたどてやきを引き立てる焼酎ハイボール
■桝田商店
【住所】大阪市中央区難波千日前10-16
【電話】06-6641-3985
【営業時間】月~金 17~21時 土17~20時 日祝休
焼酎ハイボール340円、ビール大びん500円、どてやき350円、やきとり300円、揚げ出し豆腐200円