最初は吉本を「3日目には辞めたろと思ってました」
大学を卒業して入社し、社長や会長にもなったが、もともとお笑いが好きで吉本に入ったわけではないそう。
「たまたま入っただけで、入社して3日目にはこんな会社辞めたろと思ってました。そのとき20代ですけど、時代も時代でしたし、こんな休みなしで60いくつまで働かなあかんねや、絶対嫌やと思った」
気を取り直して辞めることはやめにしたが、入社した頃は大阪の笑いが箱根の山を越えることはないと言われていた。いまや東京のキー局のテレビで吉本の芸人を見ない日はなく、会社の規模も大きくなった。ダウンタウンのマネージャーとして吉本躍進を支えた大崎さんが「西の大阪の漫才は、東へ東京へ行くべきではなかった」と本に書いている。
「東京のテレビ局のギャラは1ケタ違うし、スタジオもいっぱいあって、やっぱり東京に来ないとダメやと思ってやってきたけど、文化の東京一極集中はやっぱり違ったかもしれない。僕の子どもの頃は『たっぷりお楽しみください』ってやってたのが、今の漫才は3分、4分、2分のテレビサイズですよね。M-1が悪いわけじゃなく、売り上げも上がってよかったけど、子どもの頃に聞いてた、あの大阪弁の漫才を今も聞けるほうが、もっと大事やったんじゃないかなと思うことがあります」
あとがきのかわりに、島田紳助さんとの対談が収録されている。
芸能界を引退した紳助さんがメディアに登場するのは久々だが、2人が話すのは、もっぱら頻尿や加齢のこと。頻尿の話題でこれだけ読ませるのはすごいし、紳助さんの分析は相変わらず鋭い。
「吉本辞めて、万博も終わると思ったら、あれ? 大学卒業したときみたいな気分やと思って。吉本と関係ない仕事で、この先何をしていくか。これまでやってきたのはエンタメのことで、やれるのもエンタメのこと。暗中模索ですけど、仕込んできたことが、少しずつですけど形になりつつあります」
【プロフィール】
大崎洋(おおさき・ひろし)/1953年生まれ。1978年関西大学社会学部卒業後、吉本興業(現・吉本興業ホールディングス)に入社。2009年に代表取締役社長、2019年に代表取締役会長に就任。2023年に取締役を退任。内閣官房 まち・ひと・しごと創生本部事務局委員。内閣府知的財産戦略本部構想委員会委員。現・鳥取大学医学部附属病院運営諮問会議委員、近畿大学客員教授。2023年3月に全広連日本宣伝賞・正力賞を受賞。同年5月に大阪・関西万博共同座長に就任。一般社団法人 mother ha.ha代表理事。2024年6月に公益財団法人国際親善協会クリエイティブディレクターに就任。
取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2025年6月5・12日号