ハルビン市中心部地図(満洲国当時)『消された外交官 宮川舩夫』(斎藤充功著)より
総領事館は接収され、一時軟禁状態に
8月9日の侵攻開始からまもなく、ソ連軍の先遣部隊がハルビンに到来した。8月18日、ハルビン郊外の香坊(こうぼう)飛行場に落下傘で降下したのは、第1極東方面軍参謀副長のシェラホフ少将が率いる空挺部隊の将兵120名。この少数の先遣部隊は、直ちに軍用トラックに分乗して市内を目指した。
部隊はすでに調査済みのハルビン特務機関(関東軍情報部)庁舎に到着。この日から建物はNKVD(内務人民委員部)直轄の防諜部隊「スメルシ」(「スパイに死を」を意味するロシア語の略/長官ビクトル・アバクーモフ)の現地司令部として使われ、“スパイ狩り”の拠点となった。
さらに、ハルビン総領事館も接収され、在留邦人たちにも身の危険が降りかかるようになる。当時、同総領事館に在籍していた外務書記生・大神田(おおかんだ)敬二の手になる報告書から引く。
〈この頃、連日の列車で奥地からの避難民はハルビン駅頭に溢れ、悲壮な情景を呈していたが、[宮川]総領事は太田[日出雄]領事以下を督励、古屋[克正]領事、三井[義人]副領事と協力して官邸に仮事務所を開き、在ハルビン・ソ連総領事とも連絡の上、在留民保護のため狂奔したが、[九月]十八日、ソ連軍先遣部隊は空路ハルビンに到着し、同日夕刻、総領事館はソ連側に接収され、二十一日にはハルビン地区における日本軍の武装解除が行われた。〉(大神田「終戦後における哈爾賓総領事館員の動静」外務省資料)