宮川舩夫ハルビン総領事(当時=写真左)、右はかつてのハルビン日本総領事館(現在はショッピングセンターに改修/2015年に斎藤充功氏撮影)
外交官や外国公館には「外交特権」というものがある。外交官の身体の不可侵(逮捕・抑留・拘禁の禁止)や、外交使節団の公館・公邸への不可侵などが国際慣習法上の権利として認められてきた。しかし、ひとたび戦争となれば、それらの国際的なルールが簡単に破られることもある。
80年前のソ連軍による満洲侵攻時もそうだった。満洲国にあった日本の在外公館では、外交官たちが次々と逮捕・拘束され、収容所に収監された。中でも、日ソ外交のエキスパートで、終戦時に在ハルビン日本総領事であった宮川舩夫(みやかわ・ふなお)は、日本側に一切の説明もないままモスクワの監獄に送られ、獄死したことさえも秘匿された──。
最新刊『消された外交官 宮川舩夫』が話題のノンフィクション・ライター斎藤充功氏が、その舞台裏をレポートする。同書より抜粋・再構成。
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1945年5月、「絶滅戦争」とされた独ソ戦で、ヒトラー・ドイツ軍を制圧したスターリン・ソ連軍は、返す刀で、その戦力を極東へと移動させた。そして、対米英戦で疲弊して降伏直前まで追い込まれていた日本の足元を掬うように、同年8月9日未明、満洲国への侵攻に踏み切った。
とりわけ北満の大都市ハルビンでは、4万人もの日本人が在住しており、ソ連軍侵攻後は周辺各地からも多数の邦人が避難してきた。宮川舩夫総領事が統括していたハルビン日本総領事館は、そうした在留邦人らの安全確保や避難のための対応に奔走していた。
宮川は、日ソ国交樹立から日ソ中立条約締結まで日ソ間の外交交渉の最前線に立っていたノンキャリア外交官で、その前年の5月に、ハルビン総領事として赴任してきていた。しかし、突然この地で、外交官人生の終幕を迎えることになったのだった。