V9伝説を振り返った長嶋茂雄さんのロングインタビューを再録
2025年6月3日、背番号と同じ「3」のつく日に、ミスターは旅立った。遡ること11年前、「週刊ポスト」は2014年7月から約半年間、巨人V9戦士たちに当時の話を訊く『巨人V9の真実』を毎週連載した。その最終回、満を持して登場したのがミスター、長嶋茂雄さんだった。病魔に倒れてから約10年が経過していたが、懸命なリハビリによりその影響は感じられず、明るくにこやかに振り返ってくれた。
6月16日発売の週刊ポストでは、2015年1月に掲載された8000字インタビューを特別に再録している。その一部を掲載する。
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V9が達成できたのはやはり「総合力」が原因じゃないでしょうか。1番の柴田(勲)から始まって土井(正三)、ワン(王貞治)ちゃん、僕……そして下位打線まで含めて、それぞれが役割を果たしていました。
特に強かったのはV3からV6までの4年間だね。あの頃は試合をしていても負ける気がしなかった。やっていた本人が言うんだから間違いないよ(笑い)。
その頃のジャイアンツは先制されることが多かったんです。でも0-4とかで負けていても、「よし行くぞ」「やってやろうじゃないか」という声がベンチで自然に上がり、チーム一丸となってひっくり返してしまう。あの4年間はそういうゲームが多かったですね。
僕の中では、たとえ後手に回っていても、3番、4番に回してくれれば何とかするぞ、という気持ちがありました。ワンちゃんがダメでも僕が、僕がダメでもワンちゃんが何とかする。それで実際、ONあるいはNOで何とかしてしまったからね。もちろん、そこに繋いでくれる各打者の役割があってこそでしたが。
ワンちゃんはライバルというより仲間、盟友でしたね。ネクストバッターズサークルでワンちゃんがバットを振るのを見ていると、足の上げ方、スイングの様子で、「この打席では打球がスタンドまで飛んでいくな」というのがわかった。そのくらいワンちゃんのことがわかっていたし、向こうも僕のことがわかっていたと思います。
ONはずば抜けた力を持っているといわれていましたね。実は自分たちでもそう思っていました(笑い)。だから絶対に俺たちがやらなきゃいけないんだ、勝つんだという思いが腹の中にありましたね。
思うに、3番と4番が両方ともホームランバッターでなかったのがよかったのかもしれない。タイプが違う打者が並んでいたことがジャイアンツの強さだったと思います。
僕たちは打球の角度からして違う。ワンちゃんの打球は45度の角度で飛んでいく。これがとても良いんですよ(満足そうに頷く)。スタンドに楽々届く、本物のホームランバッターです。同じホームランでも僕のはライナーだったからね。僕のスイングじゃ打球は上がらなかった。これは勝負にならないと思いましたね。
だから僕はワンちゃんをライバルにするのではなく、自分のバッティングに徹したんです。ワンちゃんはスタンドまで飛ばす力があったが、僕には野手の間に打球を飛ばす技術があった。左中間や右中間を抜いて二塁打、三塁打にするというつもりでバットを振っていた。ワンちゃんは天性のホームランバッター、僕は中距離打者。タイプが違い、チームに貢献する役割も違うところが最高のコンビだったと思います。
共通するのは、お互いによく練習したことかな。とにかくバットを振りましたね。僕はよくいわれているような天才肌ではありません。遠征先でも常にバットを振っていたし、夜中の1時、2時でも気になれば起き上がって素振りをした。そのためにいつもバットを枕元に置いて寝ていました。