作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』
ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。今回は近現代編第十五話「大日本帝国の確立X」、「ベルサイユ体制と国際連盟 その6」をお届けする(第1457回)。
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ちょっとした歴史事典には必ず載っているように、日本が国際連盟構築にあたって提案した人類史上初の人種差別撤廃提案を、強引な議長権限によって葬り去ったのは、アメリカの大統領ウッドロウ・ウィルソンであった。
しかし、これまで述べたようにウィルソンは国際連盟を作り恒久的な世界平和をめざしたほどの理想主義者だから、戦争が起こる原因の一つに白人の有色人種に対する激しい差別がある、という日本の主張はじゅうぶんに理解していたのである。にもかかわらず日本の主張に賛成しなかったのは、政治家としてまず国際連盟を成立させることが第一で、それから先のことは連盟が成立してから考えればいいという現実的な考え方をしていたからである。
それが「逃げ口上」では無いのは、日本が有力メンバー(のちに常任理事国となる)として国際連盟に参加することについては、なんの問題も無いと考えていたことでもわかる。徹底的な人種差別主義者、黄禍論者なら絶対に日本を参加させず、日本の主張などに耳を傾ける必要は無い、という態度を取ったはずだ。
ウィルソンは、内心では人種差別撤廃提案を成立させたかったのである。それがわかっていたからこそ、牧野伸顕を事実上のトップとする日本代表団もウィルソンに「同情」した。じつはウィルソンだけでは無く、イギリス代表のロバート・セシル子爵も日本の提案に反対せざるを得なかったのは、ある国の代表から「人種差別撤廃案など成立させたら、我国は絶対に連盟に参加しないぞ!」と釘を刺されていたからなのである。パリ講和会議で提案された人類史上画期的な人種差別撤廃案を廃案に追い込んだ「A級戦犯」は、まさにこの国である。
では、それはどの国か? 私は、その国はアメリカ合衆国、アパルトヘイト(人種隔離政策)を実行していた南アフリカ共和国(当時は南アフリカ連邦)と並び、「世界三大人種差別国」であった国だと思う。その国とはオーストラリアである。
人によっては意外に聞こえるかもしれない。たしかに、現在のオーストラリアは人種差別大国とは言えない。しかし、たとえば現在EUに所属する国家のなかではもっとも民主的であるとの評価を受けているドイツ連邦共和国は、ちょうど八十年前まではユダヤ人を老若男女問わず、それこそ幼児に至るまで皆殺しにするというホロコーストを実行していた国家ではないか。現在のドイツがそれを反省し虐殺をやめたように、オーストラリアもいまはそんなことはしていない。だが、日本が人種差別撤廃を提案した一九一九年ごろのオーストラリアは、どんな国だったか?
〈彼らは、白人以外はヒトに非ずという白豪主義を掲げ、実際に国際連盟設立時に、原住民アボリジニの淘汰をやっていた。数千の集団を離島に置き去りにして餓死させるとか、水場に毒を流すとか。このパリ会議から十年後の日付で「今日はアボリジニ狩りにいって十七匹をやった」と記された日記がサウスウエールズ州の図書館に残されている。
さすがに現代は人間狩りはやめたが、アボリジニの女を強姦し子供ができると、白人の血が入っているからと産んだ母親から取り上げて白人社会で育てるという形ができている。いわゆる隔離政策である。
シドニー五輪の聖火最終ランナーを務めたキャシー・フリーマンは白人とアボリジニの混血だが、父は単に強姦した白人で、彼女はこの隔離政策で母親から引き離され、実母が誰かも知らない。
そんな国だから人種平等など絶対に認めるわけもない。〉
(『白い人が仕掛けた黒い罠-アジアを解放した日本兵は偉かった』高山正之著 ワック刊 傍点引用者)