世界一の「有色人種差別国家」
では、白豪主義とはいったいどんなものか?
〈白豪主義 はくごうしゅぎ White Australia Policy
オーストラリアへの有色人種の移民を排斥し、政治的、経済的のみならず、社会的、文化的にも白人社会の同質性を維持すべきだという主張と運動。起源は19世紀後半にさかのぼる。18世紀末にイギリスの囚人流刑地として出発したオーストラリア植民地は、1851年の金鉱発見(ゴールド・ラッシュ)以来、中国人を中心に大量の有色人移民の流入にみまわれた。これらの低賃金の人々が白人社会に同化せずに生活したため、白人労働者や小市民たちの間に反発が起こり、人種的偏見や植民地ナショナリズムなどと相まって排斥の機運が高まった。本国側はかならずしもこれを承認しなかったが、1888年六つの植民地州は、自分たちに移民制限権があるとの意見統一を行い、中国人移民制限を決定、ここに白豪主義の基礎を築いた。1901年、連邦発足後には、各州ごとに実施してきた移民制限法を統一・整備して、有色人種制限法を採択し、事実上有色人種の移民を禁止した。(以下略)〉
(『日本大百科全書〈ニッポニカ〉』小学館刊 項目執筆者石井摩耶子)
「本国側はかならずしもこれを承認しなかった」というところにご注目願いたい。つまりオーストラリアの人種差別は、本国イギリスも眉をひそめるようなものだったのだ。たしかに異民族が大挙してやってきて、地元の風習に同化せず独自の地域コミュニティーを築いていくというのは、「国を乗っ取られるのではないか」という少数派の疑心暗鬼を招くことは事実である。
しかし、これはアメリカ合衆国も同じことだが広大な土地を開拓するにはどうしても労働力が要る。ゴールド・ラッシュとなれば、なおさらだ、だからアメリカはこの問題を当初、黒人奴隷制度で解決しようとしたのである。
残念ながらと言うべきか、現在でも白豪主義を否定する側に回ったオーストラリア政府に絶対反対、という勢力もいる。じつは、引用した百科事典の記述の「以下略」とした箇所には、次のような文章が続く。
〈しかし、1996年下院議員に当選したポーリン・ハンソンPaulin Hansonに象徴されるように、白人たちの白豪主義への執着はなくなってはいない。ハンソンは、白人伝統文化の維持やアジア移民の排斥などを掲げ、1997年には超保守政党のワンネーション党を結成、一時は、世論調査で10%以上の支持率を獲得したこともあった。98年の総選挙でハンソンは落選、支持率も急落したが、これら一連のできごとは、白豪主義が完全には払拭されていないことを物語っている。〉
現在ですらそうなのだ。ましてや、百年以上前にオーストラリアの白人が「遊び」として「アボリジニ狩り」をやっていたころは、まさに世界一とも言うべき有色人種差別国家だった。そして、そのとんでもない国家の首相だったのが、ウィリアム・モリス・ヒューズ(通称ビリー・ヒューズ)という男だった。