22歳でクラリオンガールに選ばれデビュー
専門学校卒業後はOLに
そもそも、立河さんは有名になりたい、脚光を浴びたい、と思って芸能界に入ったわけではなかった。東京生まれの立河さんは、私立・東京文化学園(現・新渡戸文化学園)中高から専門学校・東京文化学園ビジネスアカデミーに進み、卒業後はOA(オフィス器機・サービス)企業に社長秘書として勤務するOLになった。
「子どもの頃はおてんばで、3歳上の兄の後をついて回るような子どもでした。幼稚園の頃、友達のお母さんに大手広告会社の方がいて、その方から直接話がきて、生命保険会社のコマーシャルのモデルをやったことがあったり、歌うことが大好きで家族の前で岩崎宏美さんの『すみれ色の涙』を歌ったりしてアイドル歌手に憧れたりも。でも、本気で芸能界を目指したわけではありませんでした」
中学・高校時代はバドミントンやテニス、バスケットボール、体操など運動部で身体を鍛える、フツウの元気な学生だった。
「ただ、就職したら、毎朝満員電車に揺られて通学・通勤してきた生活から自由になりたくなっちゃったんです。それで1年半でOLを辞め、しばらく自由を満喫(笑)。でも、1カ月もすると『何かやらなきゃ』と思い始めて。知り合いのスタイリストさんの事務所でお手伝いを始めたら、モデルになるよう勧められて、アルバイトの延長気分で活動を始めました。事務所から勧められた水着審査のあるクラリオンガールのオーディションなんて、最初は『とんでもない!』とイヤがったほどだったんです」
しかし、5次まである審査に勝ち残り続けると、立河さんの“負けず嫌い魂”にスイッチが入った。22歳でクラリオンガールに選ばれ正式デビューすると、それから10年間、芸能界で走り続けることになる──。