86歳になった今も創作活動を続けるイラストレーター・黒田征太郎氏
関門海峡を望む門司港に、イラストレーターの黒田征太郎さんが「描き場」と呼ぶ建物がある。昔は船員の診療所だった古い2階建てのビルで、壁面にはカラフルな絵が描かれている。現在、86歳になった黒田さんが、今も旺盛な創作活動を続けるアトリエだ。
「僕はね、戦争反対を声高に言えるほど、勉強もしてないし、言葉も持っていない。でも、“命のやりとりがいいのか”と聞かれたら、やっぱり違うって叫びたくなる。それだけは、ずっと思ってきました」
そう語る黒田さんは1939年生まれ。「僕の名前は出征兵士の“征”をとって、父がつけたんでしょうね」と語る彼は、少年時代には大阪や疎開先の夙川で空襲を経験した。住んでいた家の屋根から天井までを貫通した不発弾、赤々と燃える街を遠くから眺めた光景、そして、終戦後にガソリンの匂いとともにやってきた進駐軍……。そうした記憶は自身の表現の奥底に、消えることなくあり続けた。
「僕は米兵がジープから撒いていくチューインガムやチョコレートを、這いつくばって拾った子供の一人です。後に僕がアメリカに渡ったのも、あのガソリンの匂いへの憧れが胸に染みついていたからだと思うんですよ」
高校を中退してアメリカ海軍のLST(戦車揚陸艦)の船員になり、朝鮮半島やフィリピン、沖縄やベトナムの近くを航海した。その後、様々な職を転々とし、早川良雄デザイン事務所を経て27歳の時に渡米。現地で描いた絵と日記を雑誌『話の特集』に送ったことが、後にデザイナーの長友啓典氏と一時代を築いたデザイン事務所「K2」を設立する「イラストレーター・黒田征太郎」の始まりとなった。
表現者としての黒田さんが「戦争」と再び深く向き合うきっかけは、作家・野坂昭如氏との出会いにあった。銀座の屋台で編集者を通じて紹介され、週刊誌での野坂氏の新連載に挿絵を描くことになったからだ。
「野坂さんと飲んでいると、よくこう言われたものですよ。『おまえはいいよね。手が勝手に描いてくれるから。頭は休んでいるんだろう』って。本当にその通りで、僕には『描かされている』という感覚がいつもある。今も野坂さんが言っていた通り、勝手に手が動いてしまうんですよ」