平和への願いを込め、世界各地でアートと音楽によるライブペインティングを行なってきた
『戦争童話集』は僕のことでもある
黒田さんは1995年、再びニューヨークに渡った。子供の頃にガソリンの匂いとともにやってきた「憧れのアメリカ」に対して、自分なりの決着を付けたいという思いがあった。
「そのとき現地の紀伊國屋書店で手に取ったのが、野坂さんの『戦争童話集』でした」
『小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話』や『凧になったお母さん』など、戦争の不条理を童話の形で書き綴った一連の短編に、深く心を動かされた。
「読んだとき、思ったんです。これは、僕のことでもある、って。ちょうどその頃、“戦後50年”を迎えた日本では、政治家が『もう過去のことは忘れよう』という趣旨の言葉を口にしていました。でも、僕はその言葉に強い違和感を覚えた。この世界には忘れてはいけない物語がある、と」
以後、『戦争童話集』の絵本化や映像化のプロジェクトはライフワークの一つとなり、同書の絵本シリーズを刊行。映像作品も放送された。
そんななか、『戦争童話集』には、空白だったテーマがあった。それが「沖縄」だった。黒田さんは野坂氏に「沖縄編を書いてほしい」と繰り返し頼んだが、彼は首を縦に振らなかった。
「無理だ。俺には書けない」
そして、野坂氏はこう続けたという。
「爆撃は上から落ちてくる。それは俺もおまえも経験したことだ。でも、沖縄では艦砲射撃で弾が水平方向から飛んできた。火炎放射器ともなれば、きっと相手の目が見えるほどだっただろう。俺はそんな戦争を知らない。それを俺に書けというのか?」
それでも黒田さんはこう食い下がったと当時を振り返る。
「だったら、“書けない”ということを、書いてくださいよ」