【古今亭志ん朝】橘氏は〈ちょっとした仕草のどこを撮っても一枚の絵画になった〉と振り返る。1995年から演芸写真を撮る橘氏は、2001年に63歳で亡くなるまでの志ん朝の姿をカメラに収めた
「落語ブーム」と言われて久しいが、1990年代はまだ寄席に閑古鳥が鳴いていた。演芸写真家の橘蓮二氏は、そんな1995年から楽屋や舞台袖で芸人たちを撮り続けてきた。橘氏が見た名人たちの姿を、ノンフィクションライターの中村計氏が訊いた。【前後編の前編】
柳家小三治が発した「目がいいこと」の表現
誰ともなしにつぶやいた。
「……よく見えねえな、ヒゲが。昔はすげえ目がよかったのによ」
楽屋の鏡の前では柳家小三治がヒゲを剃っている。演芸写真家の橘蓮二は適度な距離を保ちつつ、その様子を撮影していた。小三治のぼやきは続いた。
「昔は蚊の金玉も見えたもんだけどな……」
カメラを構えていた橘の肩は小刻みに震えていた。
そのシーンを振り返る橘の表情はこれ以上ないほどに幸せそうだった。
「それくらい目がよかったという喩えだったんだろうけど、まあ、そもそも蚊の金玉ってないって話で。でも、めちゃくちゃおもしろいじゃないですか。大好きなんですよ。そういう場所にいられることが」
橘がカメラマンとしての人生の岐路に立ったのは30代半ばを迎えたときだった。
「20代から30代にかけての私は自己評価だけは高かった。何もしてないのに。ただ、仕事がどんどん減ってきて、他の仕事を探さなきゃいけないんじゃないかというところまで追い込まれたんです」
そんなある日、上野鈴本演芸場にふらりと足を踏み入れ、最前列のいちばん下手側(客席から見て左)に座った。上野鈴本は上手から演者が登場するため、楽屋から出てくる様子がうかがえた。橘はさらにその奥の世界に惹かれた。
「芸人さんの楽屋って、どんな感じなんだろ?」
人物写真を撮り続けてきた橘は芸人の楽屋をテーマに写真を撮り、それを最後にカメラマン人生に幕を下ろしてもいいと考えていた。
「やる気満々というより、心は凪いでいる感じでしたよ。とにかく、やってみよう、と。気づいたら、辞められなくなっていましたね。演芸の世界って、人間が濃いんですよ。学歴は関係ないし、福利厚生もない。死ぬまで定年もない。近くで接していて、どんどん魅了されていった。だって、目がいいことの表現として『蚊の金玉が見えた』なんて言う人、他の世界にいます?」