渡邊真衣受刑者(YouTubeより)
娘を知るためにホストクラブへ
りりちゃんと初めて対面したのは、2023年12月。第2回公判の2日後だ。その後、23回の面会を重ねるにつれ、彼女はぽつぽつと内面を明かしてくるようになった。彼女とのやりとりの中で、大きく時間が割かれたのが「母親」との関係だ。
「ママはかわいそうな人なんです。ママを守ってあげなきゃ」と気丈に語ったかと思えば、私が「勉強したい」という彼女のために中学の英語の教科書を差し入れたときには「『(ママに)こんな(簡単な)のからするの?』と言われちゃいました」と悲しそうにつぶやく。中でもいちばん彼女を苛んだのが、母親が情状証人として法廷に出廷することを拒んだことだった。
「宇都宮さん、なぜママは法廷に立ってくれなかったのでしょう」と涙ぐむ姿は、いまも鮮明な記憶として残っている。
「ホス狂い」のカリスマで、多くの「おぢ」を手玉に取ってきた彼女にとって「母親」とはどんな存在なのか。
2024年8月、初めてりりちゃんの母と会った。彼女は緊張した面持ちで、時には涙を流しながらこう語った。
「法廷に立たなかったのは、自分が母親だと世間に知られてしまったら、仕事も生活もできなくなってしまう。学校でいじめられていたと言っていたといいますが、真衣には友達もいたし、家庭に居場所がなかったということも、正直、わかりません……」
りりちゃんが主張してきたことを、否定的に捉える母親。しかし、裁判が進んでいく過程で、彼女にも「逃れられない現実」だという実感がわいてきたのだろう。
「事件から目を背けることなく、娘と向き合おう」という姿勢へと変わっていき、時には娘に拒絶されても拘置所へと通い続け、時には娘と激しい口論となりながらも、会話や手紙のやりとりを重ねていった。
「娘の気持ちを知るため」と歌舞伎町のホストクラブへ足を運ぶこともあった。