麻田雅文氏(左)と小泉悠氏
第二次世界大戦において日本は米中だけでなく、ソ連と戦争を繰り広げた。その全体像と戦後の国際秩序に与えた影響について、新史料をもとに描いた麻田雅文氏の『日ソ戦争』(中公新書)が話題だ。軍事評論家の小泉悠氏との対談で、現在の日露関係やウクライナ戦争に通ずる視点を語った。【全3回の第1回】
小泉:先の大戦について多くの日本人が思い浮かべるのは、B29に象徴される対米戦争か、対中戦争のイメージでしょう。対して日ソ戦争への関心はあまり高くなかったですよね。その全体像を描く研究もあまりなかった。日本人の戦争観に修正を迫る著作です。
麻田:「歴史家は今まで何をやっていたのだ」というお叱りもありますが、研究が遅れた背景には史料の制約がありました。冷戦終結以降、ソ連軍が満洲で鹵獲(ろかく)した関東軍の公文書などが順次公開され、空白を埋められるようになったのです。そこにウクライナ戦争という時代の風もあり、日ソ戦争への世間の関心が高まったのだと思います。
小泉:日ソ戦争では、満洲、朝鮮半島、千島列島、南樺太が戦場になりました。ソ連軍185万人、日本軍100万人超が参加した。短いけれども全面戦争です。
麻田:はい。8月9日のソ連の対日参戦によって始まり、9月上旬まで戦闘が続きました。北方領土やシベリア抑留などの問題につながり、満洲での国共内戦や朝鮮半島の分断の契機にもなるなど禍根を残しました。
小泉:朝鮮半島占領の経緯について、スターリンは当初から朝鮮北部に侵攻し、共産化を計画していたと思われがちですが、麻田さんはその認識の誤りを指摘されました。
麻田:ソ連の関心の中核はあくまで満洲で、占領目標として史料で見つかるのは、日本軍の増援と退却の通路となる朝鮮北部の3つの港だけでした。ところがアメリカが北緯38度線以北をソ連に委ねたので、慌てて占領したのが実態でした。
小泉:意外と泥縄式なのが歴史の現実ですよね。後から見ると、巨大な地政学的野望に基づいていたように考えがちですが、実は現場が右往左往した末の意思決定で決まった部分がけっこうあった。その典型が歯舞(はぼまい)群島で、命令が正式に発令される前に、現場のソ連兵の判断で占領してしまった。
麻田:その通りです。対する日本軍には、ソ連に英米との講和の仲介を期待する考えがギリギリまでありました。