京都成章打線を相手にノーヒットノーランを達成した横浜・松坂大輔
「767対852」。これは80回の記念大会決勝を争った横浜・松坂大輔と、京都成章のエース左腕・古岡基紀が大会を通じて投げた球数だ。
松坂は準々決勝・PL学園(大阪)との試合で延長17回を投げ抜き勝利すると、準決勝・明徳義塾(高知)戦では先発を回避。それでも4対6という劣勢の9回表、松坂は腕に巻いていたテーピングを剥がし、マウンドへ向かう。3人で終わらせ、9回裏のサヨナラ打を呼び込むと、京都成章との決勝にたどり着く。
一方の古岡も、全試合をひとりで完投してきた。古岡が当時を振り返る。
「今の時代の投手じゃなくて良かったと本当に思います。1週間で500球という球数制限があれば、僕は引っかかっていましたから。コントロールが悪く、1試合に2~4個の四球は出していましたし、完投して100球未満で終わることなんて考えられませんでした」
試合は松坂が京都成章打線を相手にノーヒットノーランを達成した。以降、聖地で無安打投球を達成した投手はいない。
「秋の神宮、春のセンバツと優勝してきた松坂は、同じ星に生まれた投手とは思えませんでした。僕はあの夏、京都大会、甲子園、国体ですべて3連投しているんです。今なら酷使だと監督が批判されていたかもしれませんが、僕の場合は登板間隔が空くとダメ。球数を投げることで調子を上げるタイプで、ノースロー調整なんてあり得なかった」
当時の京都成章にはメンタルコーチやトレーナーも帯同し、「先進的な高校野球のチームだったことも6試合を戦い抜けた要因」と振り返る。
古岡は現在、中国・蘇州にあるヤマハの工場に勤務する。今は自身の子どもたちが聖地に立つ日を夢見ている。
取材・文/柳川悠二
※週刊ポスト2025年8月29日・9月5日号