1966年の黒沢。見るからにパワーが漲っている(共同)
40歳で亡くなった母に告げられた言葉
ヒートアップしてきましたね、黒沢さん。睡眠時間を削ってでも働いてきた黒沢さんだから言えることだろうが、それでは健康に影響が出るだろう。現に黒沢さんは40代後半から大腸がんに膀胱がん、複数回の胃がんや食道がんなどにかかり、8度の手術を受けている。
それらは若い時の無理が祟ったからなのではないか——そう問うと、「そんなこと思ったことない!」と断言。
「最初の大腸がんは1992年の正月、47歳の時だね。3年前から下血はしてたんだけど、かかりつけ医から『痔』だと言われてた。でも宿泊先のハワイのホテルのトイレで大量の下血したのをきっかけに専門医で検査したら『S状結腸がん』と診断された。俺はここで死ぬのか……そう思うと絶望した」
死がよぎるほど、初めてのがん告知は黒沢さんにとっても衝撃だった。まだ47歳、2人の子供も育ち盛りだったからだ。
「俺がここで死んだら妻子を守れなくなると考えると、号泣してしまったよ。それに、40歳の若さで『としお、頼むよ…』って、か細い声を最期に逝った母の言葉を思い出し、その心残りたるやいかほどかと、また泣いてしまった。そこで、俺はここで死んじゃならないと決意したんだ。
その後もいろんな癌をやったけど、若い時の無理だなんだと思ったことがない。大切なのは今とこれからだから」
黒沢さんは、先の特殊詐欺に加担する若者への思いを、こうも語った。
「彼はただただ目の前の金に目が眩み、それを思い止まる『守るもの』がないんじゃないか? 僕のように、母のか細い声がよぎるとか、自分が今生かされているのは誰のおかげで、誰のために生きたい、とかさ」
壮絶な人生をフルパワーで生き抜いてきた黒沢さんの言葉には、確かに説得力もある。現在は高級シニアマンションに入居し「人生上がった」黒沢さんだが、話を聞き進めると、なんと今の本人は労せず、汗をかかずに「お金を転がしている」というのだ——後編記事で詳報する。
(後編につづく)
◆取材・文/河合桃子(ライター)